3000字で読む「黙示録」

新約聖書の「黙示録」を章ごとにタイトルをつけ、内容を要約したものです。元はツイッターに投稿したものなので、要約本文は各章140字以内となっています。聖書を読む際の参考になれば幸いです。

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■黙示録

1章「7つの燭台」
これは、すぐに起こるはずのことをしもべたちに示すために神がキリストに与えたものである。神は言われる。「わたしはアルファでありオメガである。」そして私の見ることを書き記して七つの教会に書き送るように言われ、七つの金の燭台が見えた。これは七つの教会を表している。

2章「4つの教会へ」
神は言われる。エペソ教会は初めの愛から離れてしまったことを悔い改めなさい。スミルナの教会は苦しみを恐れず死に至るまで忠実でありなさい。ペルガモの教会にいる偶像崇拝する者は悔い改めなさい。テアテラの教会にいる偽預言者を私は罰する。最後まで私のわざを行いなさい。

3章「3つの教会へ」
サルデスの教会は目を覚まして他の人たちを力づけなさい。フィラデルフィアの教会は私の忍耐のことばを守ったから、私もあなたを守ろう。ラオデキヤの教会はなまぬるく、熱くも冷たくもないので吐き出そう。私は戸の外に立って叩く。戸をあけるなら私はその人のうちに入ろう。

4章「御座」
「この後、必ず起こることを示そう」との声があった。天に一つの御座があり、御座についている方がいた。御座の周りに24の座があり、長老たちが座っていた。4つの生き物がおり、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、神である主。」と叫び続けた。長老も御座の方を拝んだ。

5章「巻き物」
御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があった。これは封印されていて、それを解く者がいなかった。しかし小羊がそれを受け取ると、四つの生き物と24人の長老たちが小羊にひれ伏して、賛美し、彼を拝んだ。非常に多くの御使いたちが小羊をほめたたえた。

6章「七つの封印」
小羊が七つの封印を解いた。一つ目は勝利を得る白い馬、二つ目は平和を奪い取る赤い馬、三つ目は量りを持った黒い馬、四つ目は剣とききんと死病をもたらす青い馬、五つ目は神のために死んだ者の叫び、六つ目は大きな地震であった。地上の人々は「御怒りの日が来た」と恐れ隠れた。

7章「白い衣」
御使いが神の印をもって神のしもべであるイスラエルの子孫たちの額に印を押した。大勢の群衆が白い衣を着て御座と小羊の前に立っていた。長老の一人が言った。「彼らは大きな患難から出て、その衣を小羊の血で洗って白くした。彼らはもはや災いに会わない。小羊が彼らの牧者だから。」

8章「第七の封印」
第七の封印が解かれ、七人の御使いに七つのラッパが与えられた。第一のラッパで血の混じった雹と火が降り、第二のラッパで燃える山のようなものが海に落ち、第三のラッパで苦よもぎと呼ばれる燃える大きな星が川に落ち、第四のラッパで太陽と月と星の三分の一が失われた。

9章「悔い改めない人々」
第五のラッパで星が地上に落ち、煙で太陽も空も暗くなった。そこから人間の顔をしたいなごが出てきて、神の印を押されていない者に五ヶ月間害を加えた。第六のラッパで四人の御使いが人類の三分の一を殺すために解き放たれた。それでも人々は偶像を拝み続け、悔い改めなかった。

10章「巻き物」
私は強い御使いが手に小さな巻き物を持って天から降りてくるのを見た。彼が叫ぶと七つの雷が声を出したが、それを書き記すことは禁じられた。彼は創造主に誓って「もはや時が延ばされることはない」と言った。私が巻き物を受け取り食べると、蜜のように甘かったが、腹が苦くなった。

11章「二人の証人」
ふたりの証人が現れ、1260日間預言し、彼らに害を加える敵を滅ぼし、災害をもって地を打ったが、獣に殺された。地の人は喜んだが、3日半ののち、彼らは生き返って地を恐怖に陥れて天に上った。第七のラッパが鳴ると、天に大きな賛美の声が起こり、長老たちも神を礼拝した。

12章「女と竜」
太陽を着た女が身ごもっていた。大きな赤い竜が子を食い尽くそうと待ち構えていた。女が産んだ男の子は神のみもとに引き上げられた。女は荒野に逃げた。天ではミカエルと竜が戦い、竜は負けて地上に投げ落とされた。竜は女を追いかけたが地が彼女を助けた。竜は激しく怒った。

13章「獣」
海から一匹の獣が出た。彼は竜から42ヶ月間活動する権威を与えられ、全地が従った。小羊のいのちの書に名のない者はみな、彼を拝む。またもう一匹の獣が出て、最初の獣の像を作らせ、それを拝まない者はみな殺させ、すべての人に刻印を受けさせた。獣の数字は666である。

14章「刈り取り」
山の上に小羊がいて、額に小羊とその父の名が記された14万4千人の人々がいた。彼らは新しい歌を歌った。三人の御使いが、福音と警告を宣べ伝えた。白い雲が起こり、人の子のような方が乗って鋭いかまをもっていた。御使いそのかまで地上を刈り取り、怒りの酒ぶねに投げ入れた。

15章「七つの災害」
七人の御使いが七つの災害を携えていた。神の怒りはここに窮まる。獣に打ち勝った人々がモーセの歌と小羊の歌とを歌って賛美した。その後、天のあかしの幕屋の聖所が開いて、七つの災害を携えた七人の御使いが出てきた。彼らには神の怒りの満ちた七つの金の鉢が与えられた。

16章「ハルマゲドン」
神の怒りの七つの鉢がぶちまけられた。第一に人々に腫れ物ができ、第二に海が血になり、第三に川と水が血になり、第四に太陽が焼けるように熱くなり、第五に国が暗くなり、第六に川がかれた。汚れた霊が王たちをハルマゲドンに集めた。第七に強い地震があった。人々は神を呪った。

17章「大淫婦」
大淫婦と呼ばれるひとりの女が緋色の獣に乗って、七つの頭と十本の角を持っていた。それらは七人の王と十人の王を指す。彼らは心を一つにして権威を獣に与え、小羊と戦うが、主の主、王の王である小羊は彼らに打ち勝つ。女とは、地上の王たちを支配する大きな都のことである。

18章「大バビロンのさばき」
御使いが大きな権威を帯びて天から降りてきて、地上の都、大バビロンへのさばきを宣言した。主はあらゆる災害と苦しみで一瞬にして彼女(バビロン)を襲い、火で焼き尽くした。彼女と不品行を行った地上の王たち、商人たち、船員たちは彼女が焼かれる煙を見て嘆き悲しんだ。

19章「戦い」
私は天に大群衆の大きな声が神のさばきを讃えるのを聞いた。白い馬に乗った方は「忠実、また真実」と呼ばれる方で、義をもってさばきをし、戦いをする。天の軍勢は彼につき従った。獣と地上の王たちとその軍勢はその方の軍勢と戦ったが、獣らは捕らえられ硫黄の火の中に投げ込まれた。

20章「いのちの書」
サタンである竜は縛られ、封印された。イエスを信じる者が生き返って、キリストと共に千年の間王となった。その後サタンが解き放たれたが、天の火で焼き尽くされた。死んだ人々が出て、いのちの書に記されている行いに応じて裁かれた。死とハデスは火の池に投げ込まれた。

21章「新しい天と地」
私は新しい天と新しい地を見た。また聖なる都、新しいエルサレムが天から下ってくるのを見た。もはや死も悲しみもない。都には神の栄光があり、高い城壁と門があった。そこには夜がないので、門は開けられたままである。いのちの書に書かれた人だけがここに入ることができる。

22章「来てください」
都の大通りの中央を、いのちの水の川が流れていた。神である主が照らすので、もはや夜がない。この書の預言を封じてはいけない。この預言のことばは付け加えても、取り除いてもならない。あかしする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」主イエスよ、来てください。

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名前で呼ばれる意味 -映画「アメイジング・グレイス」より-


アメイジング・グレイス
原題:"Amazing Grace"
監督:マイケル・アプテッド
2006年イギリス

「あの2万人にも名前があったはずだ。美しいアフリカの名前が。」

悔い改めて牧師になった奴隷船の船長、ジョン・ニュートンのその台詞が一番印象に残った。

「名は体を表す」という。聖書に出てくる人物も、生まれた状況や親の期待が込められた名をつけられた記事が多く出てくる。

コミュニケーションを手ほどきするセミナーや本では、必ずと言っていいほど「相手を名前で呼びましょう」という手ほどきがある。集まりなどで思いがけず再会した人の名前が出てこないときはとても決まりが悪い。なんとか思い出そうとし、それがだめなら何とか悟られまいと必死になる。自分が名前を覚えられていなかったら、やっぱりとてもがっかりするだろうから。かくいう僕は大変名前を覚えるのが苦手だ。何度冷や汗をかいたことか。

相手の名を呼ぶとき、それは相手を一人の人格、他と区別できる一人の個体として認めることを意味する。「あなた」と呼ぶのがときには失礼にあたると若い頃に指摘されたことがある。名前で呼ぶべきだったのだ。

名前で呼ばれなかった奴隷たち。それはもちろん人間としては見られていなかったということだ。ジョン・ニュートンは彼らの名前が失われていたことを悔いた。そしてそのような、人間を人間と認めない奴隷貿易の廃止を主人公に託した。そしてアフリカ人たちに名前を取り戻したことを讃え、主人公の名前を刻むことをもってこの映画は閉じるのだ。

聖書の中で名前が大変重要視されているのは、人間が人格として尊ばれていることを意味していると思う。他の人とは違う個としての存在であることを示す名前。そして究極の名前と言える「ヤハウェ」(在りて在るもの)の呼び名を持つ神。厳として絶対的に存在するこの神に、僕たちは名前をもって呼んでいただける。このつながりによってこそ、人間は本当に人間として存在できるのだ。

志を貫いて人間の尊厳を取り戻した政治家の物語を通して、人間の人間たりうる源泉を見た気がした。

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どう考える?「米同性愛問題―クリスチャンのパン屋、訴訟問題に発展か」

「米同性愛問題―クリスチャンのパン屋、訴訟問題に発展か」
クリスチャントゥデイ 2011年11月22日
http://www.christiantoday.co.jp/article/3774.html
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米アイオワ州に住むクリスチャン女性のヴィクトリア・チルドレスさんが、自身の経営しているパン屋でキリスト教の信仰に従って同性愛者のカップルのためのウェディングケーキ受注を拒否したことを受け、法的措置を受ける可能性が生じている。
彼女の経営する「ヴィクトリアのケーキコテージ」に女性の二人連れが入店、女性たちの関係性を知らずに、客である彼女らに対し、試食用の5つのケーキを焼いたという。試食中にヴィクトリアさんは、二人連れの女性のひとりに対し、「お連れの方は妹さんですか?」と尋ねたところ、「いいえ、彼女は私の同伴者です」と言われたという。チルドレスさんはその答えを聞いて、自身がキリスト教の信仰をもっているため、その客のためのウェディングケーキを作ることはできないと答えたという。
チルドレスさんは、「私のクリスチャンとしてのライフスタイルの信念から、彼女たちのためのウェディングケーキを焼くことはできませんでした。この決断をするのは、経営者としての私の権利だと思います。これは私が持っている決断権を行使したのであって、(同性愛者の)彼女たちを差別したわけではありません。彼女たちの側の問題によるのではなく、私の側の問題として、私は神様とともに歩んでいるのであり、私が神様に対して答えるべき答えに相応しい決断をしただけです。彼女たちにはお客様として最大限丁寧に対応させていただいたつもりです」と述べている。
女性たちは「私たちはただケーキが欲しくてパン屋さんに行ったのです。イエス様が愛しておられることは知っていますが、そのことをパン屋で私たちに彼女が語る必要はなかったと思います。彼女のビジネスのために私たちの振る舞いが厳しく非難されたようなものです」と述べている。
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これは難しい。二つの意味で。

一つは、問題が矮小化される危険がある。確かに聖書を信じるクリスチャンが同性愛を信仰的に否定することは多いにありうる(私もその一人である)。聖書が明示的に禁じているのは正確にはホモのみで、レズを禁じている箇所はない。だからレズを差別するのは聖書的ではないという批判がある。しかしこれはおかしな議論だ。もし店を訪れたのゲイのカップルだったとしても、このパン屋さんは同じ態度をとっただろう。だからこの問題の本質は、聖書における同性愛の是非ではなく、「信仰上の理由で客の要求を拒否することは正当か」という点だ。決して、同性愛はいいのか悪いのかという議論ではない。

もう一つは、本質的なところで、信仰上の理由による権利行使がどこまで認められるかという判断だ。これは難しい。似たような事例はいくつも挙げられる。

1.暴力反対の立場から暴力団員の店への出入りを断る。
2.ユダヤ人お断り。
3.クリスチャンの戦死者の遺族が靖国神社への合祀を拒否する。
4.信仰上の理由から輸血を拒否する。
5.信念により日の丸への敬礼を拒否する。
6.信仰上の理由で君が代の伴奏を拒否する。
7.信仰上の理由で 飲酒しない。
8.個人的な理由で航空機での移動を拒否する。
9.低脂肪乳は嫌いだから飲まない。
10.牧師が信仰上の理由で未信者の結婚式を断る。

上記の行動の根拠を考えると、
・社会的に許容されない思想、考え方を助長するのを防ぐ。 1
・個人的な信仰や信念、思考を貫く。 3〜10
に分けられる。
(2はグレーだ。特殊な環境下でそれが社会的に是とされていたから。これを評価するには、時代や環境を超えたもっと大きな価値観に照らす必要がある。)
一方、上記の行動の影響という面では、
・本人に限定されるもの  3、4、5、7、8、9
・周りの人に直接的な影響を与えるもの  1、2、10
となるだろう。ここでは6は、伴奏を拒否することで他の人が割を食うことになるが、それを間接的と考えてよければ本人限定と言っていいだろう。

さて10の場合、信仰を貫く個人の権利と、影響を受ける人の権利がぶつかることになるという点で、パン屋さんの問題と似ている。しかし一般に、牧師というのは、「キリスト教の信仰に基づく業務」を行う職業と認識されている。だから、未信者の結婚式を拒否することもあり得ると私は考える。

対して、パン屋さんは通常、代金と引き換えにパンやケーキを売る職業であり、買い手の思想信条によって売る・売らないを決めてよいものとは考えられていない。売り手と買い手の間にあるのは貨幣を仲立ちとする市場経済原理であり、思想信条ではない。そう考えると、今回のパン屋さんの拒否行動には疑問が出てくる。客の主張にあるように、ケーキを売るときに信仰の話をするのは筋違いというものだろう。

繰り返すが、この問題は聖書解釈の問題ではない。すなわち、このパン屋さんが聖書から同性愛を否定したことが問題なのではない。それはある人にとっては受け入れられない考え方かも知れないが、今回の事件について言えば、そこをフォーカスするのは問題の矮小化であり、信仰の自由への干渉である。たとえば私はエホバの証人たちが「聖書の教え」として輸血拒否するのにはまったく賛同できないが、彼らがそう信じる「権利」は認めなければならない。教義には教義で反論すればよく、そう信じる人を差別するのは、してはならないことだ。

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本書にもし他にはないユニークな点があるとするなら、ソフトウエアエンジニアの目を通して信仰を解説していることでしょう。キリスト教を語るときに外せないのが「罪」の概念ですが、これはなかなか伝えづらいものです。日本人は「恥」は理解できても「罪」は納得できないという人が多いのです。しかし、ソフトウエアでいうところの「バグ」と言えばわかりやすいのではないか。そんなところから思いを巡らせてみると、結構ソフトウエアの世界で使う概念が信仰にうまく当てはまりそうだと思えてきたのです。私はキリストを信じる一信徒に過ぎず、牧師でも聖書学者でもありませんので、不十分な点は多々あると思います。しかし会社に入って約20年間ソフトウエア開発一筋で仕事をしてきた経験が、コンピュータを好きな人たちにキリストの救いを知ってもらう上で助けになるかも知れない。本書はそんな思いつきから書いてみようと思ったものです。

キリスト教は、あなたの人生を根底から変える力を持っています。私は本書で、キリスト教の知識ではなく、キリストや聖書とあなたとの関わりについて述べたいと思います。本書を手にしたあなたには、タイトルとは裏腹に「キリスト教」ではなく、「キリスト」を知ってほしいと思っています。

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「信じる気持ち はじめてのキリスト教」富田正樹 日本キリスト教団出版局

「神様は本当にいるんですか?」「三位一体って何ですか?」など、一般の人が抱くであろう素朴な疑問に答える形で、キリスト教とは何かを解きほぐそうとしている。

本書のまえがきには「(本屋さんに並んでいる多くの)『よくわかる』キリスト教入門書のほとんどが、キリスト教についての『知識』をわかりやすく伝えてはいるけれども…『信じる気持ち』については語ってくれていない」とあり、これは実に共感できる。このブログもそのような思いから書いているものだから。しかし「私自身の個性が出てしまうのは仕方ありません」と言いつつ「入門書ですから…あまり偏りのないように書く努力はしたつもり」と、書く上で困難があったことがうかがえる。

章立ては、1.神様、2.イエス・キリスト、3.聖書、4.教会、5.クリスチャン、6.信じること  となっているが、初めの3つはキリスト教教理、あとの3つは信仰生活という括りで、後者はほぼ偏りなく書かれていると言えるが、前者は著者独自の信仰、考え方に立脚している(教理だから当然だろうが)。

本書の前半で語られるのは完璧にリベラルな考え方である。すなわち、「聖書が何を教えているか」という神からの視点ではなく、「現代に生きる私たちがどう考えたら聖書を受け入れやすいか」という人間からの視点だ。いわゆる福音的立場のクリスチャンとして言わせてもらうと、これは「キリスト教入門」とは言えない。キリスト教の信仰とは、そういう「人に擦り寄る態度」などとっていないからだ。最初からそんな厳しいことを言うと引かれてしまうという意見もあるだろう。しかしリベラリズムは、あとになっても決して神や聖書を上からのものとして見ることはしない。わかりやすいかどうかという問題ではなく、世の中の反感を買わないように聖書を変えてしまっているのだ。これは本書100ページで言っていることと裏腹に「広い門」である。従って、福音的クリスチャンが、聖書が何を教えているかを伝えるため本書を初心者に紹介することは、避けた方が良い。クリスチャンが読んで、挙げられている質問に自分ならどう答えるだろうかと考えるのは、益になるだろう。

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「クリスチャンへの100の質問」に答えてみた

「クリスチャンへの100の質問」というサイトがあって、100の質問が並んでいます。
管理人のお名前が見当たらないのですが、回答を書いてみました。
1「受洗記念日を教えてください」 5月30日(聖霊降臨日記念礼拝にて)。
2「受洗したきっかけは?」 中学生キャンプで「あなたは天国に行く確信がありますか」と問いかけられて本気で考え始めた。
3「受洗記念の聖句は?」 特にありません。
4「会派、または所属教団は?」 バプテスト、単立。
5「好きな聖句は?」 詩篇37篇5節「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」
6「聖句以外のキリスト教関連の"好きな詩・本"は?」 キリスト教の精髄(C.S.ルイス)
7「教会の門をたたいたきっかけは?」 生まれたときから親がクリスチャンだった。
8「伝道する時の手段は?」 主にブログ。
9「信仰生活の上で、悩むことはなんですか?」 子供の前で妻とケンカしてしまう。
10「受洗の時、印象に残っていたことは?」 浸礼でしたが、背が高かったので、洗礼槽に仰向けに沈むときに「膝を折って」と言われました。
11「好きな祈りは?」 ヨブの祈り(ヨブ記42:2~6)
12「教会に一番の友達がいますか?」 他の教会ですが、います。
13「教会生活は楽しいですか?」 若い頃のような「楽しい」という感情は薄れましたが、教会に行くのは喜びです。
14「特にどのような奉仕をしていますか?」 礼拝司会、祈り、牧師のラジオ伝道番組の制作など。
15「好きな讃美歌、ワーシップソングは何ですか?」 「驚くばかりの」、つまり「アメイジング・グレイス」。
16「英語で聖書はなんと言いますか?(笑)」 The Book!
17「教会に尊敬する人はいますか?どんな人ですか?」います。良きリーダー、良き父で、とてもバランスの取れた方。
18「礼拝の中で、一番楽しいときはどんなときですか?」 聖歌隊で歌っているとき。
19「祈りはきかれると思いますか?」 もちろん!
20「教会でもっとこうしたい!ってことありますか?」 意外と教会内では証しがされない。もっと証しにあふれた教会になったらいいな。
21「使っている聖書は何訳ですか?」 新改訳聖書第3版。
22「牧師先生を好きですか?」 はい、人前で話すのが苦手と言いつつ、それでもがんばっている姿が好きです。
23「あなたの結婚観にぴったりの聖句を教えてください」 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。伝道者の書4:12
24「お気に入りのキリスト教関連用品は?」 iPhone用の聖書アプリ。
25「死は恐ろしいですか?」 恐ろしい。でもその後は楽しみ。
26「聖書のみ言葉を実践してみようと試みたことのあるものは?」 常に必要があるのが「子どもをおこらせてはいけません。かえって主の教育と訓戒によって育てなさい」。よく失敗します。(ローマ人への手紙15:14)
27「今までの信仰生活で一番の試練は何だったですか?」 好きだった人が結婚すると知ったとき。
28「落ち込んだとき、どこを読みますか?」 特にどこということはありません。日頃のデボーションによります。
29「購読しているキリスト教雑誌は?」 ありません。
30「自分がクリスチャンであること、家族や友達は知っている?」 知っています。
31「自分の葬儀、歌ってほしい歌は?」 讃美歌303番「めぐみのみちかい」
32「他人の献金額が気になりますか?」 なりません。
33「ヨブ記って理解できる?」 はい、そのつもりです。神の絶対的な主権が読み取れます。
34「読んでて一番、眠いなあと思う聖書箇所はどのへん?」 意外と、詩篇。ストーリー性がないからかな。
35「伝道成功体験談を語っちゃってみてください」 直接伝道したというわけではありませんが、学生時代の友人を教会に誘ったら居ついて、クリスチャンになり、クリスチャンホームを築き、とうとう神学校に。
36「人生のいつ、もしくは一日のいつどこで聖書を読みますか?」 朝、居間でですね。
37「うちの教会世界一!と思いますか?」 いや、別にそんなこと思いませんが・・・
38「献身しよう、と思ったことありますか?」 職業人として世の中で主を伝えようと思いました。
39「イエス様の絵が彫られた踏み絵・・・家族をたてに取られたら、踏めますか?」 正直、わかりません。
40「自分はいいクリスチャンだと思いますか?①けっこういい②なかなかいい③中庸④あんまりよくない⑤全然ダメ」 悲しいですが⑤です。
41「どうしてそう思いますか?<40番」 心の中、見せられますか?
42「イエス様ってどんなお顔をしていると思いますか?」 バティステュータ(元アルゼンチン代表)。
43「天国に行ったら、何をしていますか?」 歌を歌ってるんじゃないかな。アカペラコーラスで。超特大聖歌隊ができるなあ。ああ、楽しみになってきた!
44「自分以外の家族もクリスチャンですか?」 はい、感謝なことに。
45「共に祈りたい!って人は、誰?」 妻です。
46「始めて教会に行くとき、家族に反対されましたか?」 クリスチャンホームなので、ないです。
47「『赦しなさい』とありますが・・・どうしても赦せない人っていますよねえ?」 そこまで強烈に赦せない人はいません。
48「今、一番伝道したい人を一人挙げてください」 ある友人。
49「現在の「一番祈りたいこと」は何ですか?」 ある友人が救われるように。
50「教会に通っててさあ・・・嫌なことって何ですか?」 教会内での諍い。意見の対立ならまだしも、諍いは心が疲れます。
51「今までの人生、一番つらかったことは何ですか?」 先にも挙げましたが、好きな人が結婚するとわかったときに自制する必要があったこと。
52「イスラエルや、いわゆる聖地(カソリックにこだわらず)に行きたいですか?」 行きたい、すごく行きたい!
53「自分の一番の罪を一つだけあげてください」 一つだけ?
54「今日のお昼は何を食べましたか?」 焼き魚定食。昼はいつも魚です、中年なので。
55「ギリシャ語やヘブライ語(ヘブル語)を勉強したいと思いますか?」 勉強しないで、読めたらいいなあ。
56「聖書を原書で読む必要ってあると思いますか?」 語る必要上、教職者には絶対必要でしょう。信徒には信仰生活の上であまり必要ないと思います。
57「祈った時間、最長記録は何時間ぐらいですか?」 2時間くらいでしょうか。
58「断食祈祷や徹夜祈祷ってしたことありますか?」 ありません。
59「カソリックってどう思いますか?」 我々とは信じているものが違うと思います。
60「どんなときイエス様の愛を感じますか?」 眠りに就くとき。
61「ペットを捨てる人をどう思いますか?」 いのちはモノじゃないよ。
62「好きなクリスチャン作家は誰ですか?」 三浦綾子さん。
63「教会に来る子どもたちに何を望みますか?」 毎日聖書のみことばを食べようね。
64「自分の罪がイエス様の十字架によって購われたということ、わかりますか?信じてますか?」 もちろんです。だからクリスチャンなのです。
65「今、妬んでいる人はいますか?どんな人ですか?」 特にいません。(幸せ?)
66「占いとまじないについてどう思いますか?気になりますか?信じますか?」 悪霊の働きです。イエス様から僕たちを引き離すものです。
67「ネット界でのクリスチャンの交わりについてどう思いますか?」 実生活と同様の愛と配慮をもっていれば、どんどん活用すべき。むしろ実生活では絶対会わないようなクリスチャンとの信仰交流というメリットがある。
68「宝くじ一億円当たったらどうする?」 まあどうしましょう。
69「悩みを一番最初に相談するのは誰?」 妻。
70「一番好きな言葉をあげてください(御言葉以外)」 最高の教師は、心に火をつける。(ウィリアム・ウォード)
71「メル友って、何人いますか?」 数人。
72「教会って、何のためにあると思いますか?」 礼拝の場、奉仕の場、伝道の場、学びの場、交わりの場として。
73「伝道失敗談を語ってください」 エホバの証人だった会社の人と長い期間対話を続けた結果、その人はエホバの証人を辞めました。でも、信仰も捨てました。その人の人生に傷を作っただけだったのかも知れません。
74「家々をめぐって、教えを広げていらっしゃる宗教の方がいますが。どう思いますか?」 偽預言者の組織にいることをぜひ知ってほしい。それを伝えられるのは福音的クリスチャンです。
75「家に、他宗教、もしくは新興宗教のチラシが入ってます。どうしますか?」 一読してから捨てます。
76「今までで一番『最高だ!幸せだ!』と、感じたときはいつ?」 子供が生まれたとき。
77「大病はしたことがありますか?」 喘息以外はありません。
78「教会外でボランティア活動したことありますか?」 特にありません。
79「どうやって祈れば、神さまは聞いてくれると思いますか?」 信じて祈れば。(マルコ11:24)
80「なぜ、人生には試練があるのでしょう?」 試練がないと、神様を拠り頼まないから。人は自分を強いと思ってしまう。
81「友達の披露宴(結婚式)でスピーチを頼まれました。どういったお話をしますか?」 結婚はプロジェクトだ。目的、計画、そして期限がある。
82「突然知人に、『聖書のことを教えて欲しい』と言われました。どうします?」 どうして?と聞いて、相手が何を求めているのかを探ります。
83「両親に言いたいことを、一言どうぞ」 長生きしてください。できれば逝くときは2人一緒に。残ったほうがかわいそうなので。
84「インドネシアに伝道に行ってほしいと、人に言われ、神さまにも言われました。どうする?」 妻にも聞いて、同じ思いなら行きます。
85「他のクリスチャンの人について、どう思いますか?」 仲間。同胞。兄弟姉妹。
86「今まで友達だったと思っていた人に、クリスチャンであると告げたときから嫌われました。どうしますか?」 仕方ないです。追いません。その人とまた話すチャンスが来るように祈ります。
87「仮定ばかりですみませんが。異性の友人が、教会に一緒に連れていって欲しいと言ってます。どうします?」 妻と一緒に行くか、女性のクリスチャンを紹介します。
88「自分はバカだと思いますか?」 はい、ある意味。
89「自分の学歴、人に知られたいですか?知られたくないですか?」 別に知られても構いません。
90「未婚の方に。どんな人と結婚したいですか?(既婚者はパスしてね)」 パス。
91「既婚の方に。配偶者はどんな素晴らしい人ですか?(未婚者はパスしてね)」 明るく楽しい人です。笑顔は最高です。でも最近は怖いです。
92「夢は、何ですか?」 信仰についての本を出版すること。
93「日本のリバイバルについて、何か思うことはありますか?」 生きている間に見てみたい。
94「今までもらったプレゼントで一番嬉しかったものは?」 彼女(今の妻)から就職祝いにもらったネクタイ。
95「得意料理は何ですか?」 カレー。(でもルウは市販のを使う)
96「ノンクリ10人と自分の11人で食事です。食前の祈りはどうします?」 します。それをきっかけに信仰の話になることを期待します。
97「神さまの声、きいたことありますか?」 生声としては、ありません。
98「パソコン、一日どれくらいします?」 仕事で5、6時間、家で1時間くらいです。多いかな。
99「好きな映画を一作どうぞ」 炎のランナー。
100「あなたは、神を信じますか?」 イエース!

「クリスチャンへの100の質問」サイトはこちら。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/3721/

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5000字で読む書簡「へブル人への手紙」~「ユダの手紙」

5000字で読む新約書簡

新約聖書の書簡のうち「へブル人への手紙」から「ユダの手紙」を章ごとにタイトルをつけ、内容を要約したものです。元はツイッターに投稿したものなので、要約本文は各章140字以内となっています。聖書を読む際の参考になれば幸いです。

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■へブル人への手紙

1章「御子のご性質」
神はこの終わりの時には御子によって私たちに語られた。神は御子を万物の相続者とし、御子によって世界を造られた。御子は神の栄光の輝き、神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っている。神は御子を、仕える御使いとは違ったものとして扱っている。

2章「イエスの苦しみ」
神は後の世を御使いたちにではなく人間に与えられる。これはイエスが御使いよりも低くされ、死の苦しみを味わわれたためである。主イエスはその死によって死を滅ぼし、人々を死の恐怖から解放した。主はご自身が試みを受けて苦しまれたので、人々を苦しみから助けることができる。

3章「神の家」
キリストは御子として神の家を忠実に治める。確信と、希望による誇りとを終わりまでしっかりと持ち続ける人たちこそが神の家である。最初の確信を保ちなさい。神の怒りを引き起こしたのは、聞いていたのに従おうとしなかった人たちであった。生ける神から離れる者がないように。

4章「神の安息」
神の安息に入れないことのないように、恐れる心を持とう。みわざは創世の始めから終わって完成している。だlから私たちは信仰によってこの安息に入るよう、落伍する者がないように務めよう。神のことばは生きていて力がある。大祭司イエスの前で信仰の告白を堅く保とうではないか。

5章「大祭司イエス」
大祭司は自分でなるものではなく、神に召されてなるもの。同様にイエスも神によってメルキゼデクの位に等しいものとされた。キリストは御子であるのに苦しみを受け、私たちを救うものとなったが、あなた方の耳が鈍くなっているので解き明かすのは困難だ。

6章「約束のものを得る」
キリストについて初歩の教えをあとにし、成熟を目指そう。神は救いの約束を忘れてはおられないから、私たちは熱心に最後まで十分な確信を持ち続けよう。アブラハムが神が誓った約束のものを得たように、私たちも信仰と忍耐をもって約束のものを相続する者となるためである。

7章「永遠の祭司イエス」
キリストは、レビ族でなく十分の一を受けたメルキゼデクのように、律法によってではなく、神の誓いによって永遠の祭司として立てられ、救いの契約の保証となられた。キリストは永遠に存在して祭司の務めをもち、人々を救う。彼はご自身をただ一度捧げることによってこれを成し遂げた。

8章「新しい契約」
キリストは大祭司として主が設けられた幕屋である聖所で仕えておられる。始めの契約は祭司が律法に従っていけにえをささげるものだったが、キリストは人の祭司よりもすぐれた約束に基づくすぐれた契約の仲介者である。神は以前のものを古いものとし、新しい契約をたてられたのだ。

9章「ただ一度の贖い」
幕屋の聖所には年に一度大祭司が入って罪の贖いをした。これは当時の比喩である。キリストはただ一度ご自分の血によって永遠の贖いを成し遂げられた。これがまことの聖所である。キリストは新しい契約の仲介者であり、召された者に永遠の資産の約束を受けさせることができる。

10章「励まし合う」
律法によるいけにえで神は満足することがなかったが、イエスはただ一度永遠のいけにえをささげたので私たちは大胆にまことの聖所に入ることができる。だから私たちは互いに勧め合い、愛と善行を促し、一緒に集まり、励まし合おう。真理の知識を得てなお罪を犯さないように。

11章「信仰によって」
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させる。旧約時代の人々は信仰によって、地上では旅人であり、まだ見ぬさらにすぐれたもの、天の故郷があることを信じた。彼らは信仰によってあかしされた。神は彼らのために確かに都をあらかじめ用意しておられる。

12章「懲らしめと訓練」
懲らしめを訓練と思って耐え忍びなさい。懲らしめは神があなたがたを子として扱っているということ。それは私たちの益のためであり、後には平安な義の実を結ばせる。神の恵みから落ちることがないように。私たちは揺り動かされることのない御国を受けているのだから、感謝しよう。

13章「宿営の外で」
信仰の指導者たちにならいなさい。イエスが門の外で苦しみを受けられたように、私たちも地上の都を求めるのではなく、宿営の外に出て神のみもとに行こう。指導者たちの言うことを聞き、彼らが喜んで奉仕できるようにしなさい。キリストがあなたがたを完全にしてくださるように。

■ヤコブの手紙

1章「みことばを実行する人に」
ヤコブから、国外に散っている12部族へ。試練に会う時は喜びと思いなさい。試練は忍耐を生じ、成長し完全な者となるから。誰でも聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそくありなさい。みことばを素直に受け入れ、みことばを実行する人になりなさい。聞くだけの者であってはならない。

2章「行いのない信仰は」
貧しい人たちを軽蔑してはならない。神はこの世の金持ちではなく貧しい人たちを選んだのではないか。 律法全体を守っても、一つの点でつまづくなら、その人はすべてを犯したのだ。信仰があると言いながら行いがないなら、その信仰は死んだものだ。行いのない信仰はむなしい。

3章「舌を制御する」
ことばで失敗しない人は、からだ全体をも 制御できる。舌は小さな器官だが、からだ全体を汚し、ゲヘナへと導く。賛美とのろいが同じ口から出て来るようなことがあってならない。神からの知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい、それが義の実を結ばせる種なのだ。

4章「へりくだりなさい」
戦いや争いは欲望が原因だ。 願っても受けられないのは快楽という悪い動機で願うからだ。世を愛するのは神に敵することだとわからないのか。あなたがた苦しみなさい。悲しみなさい。神の前でへりくだりなさい。神があなたがたを高めてくださるから。あすのことはわからない。高ぶるな。

5章「耐え忍びなさい」
金持ちたち、あなたがたの富は腐っている。それはさばきのときの証言となる。 耐え忍びなさい。主の来られるのが近いから。主は慈愛に富みあわれみに満ちておられる。苦しんでいる人は祈りなさい。喜んでいる人は賛美しなさい。いやされるため、互いに罪を言い表し祈り合いなさい。

■ペテロの手紙 第1

1章「朽ちない種から」
各地のキリスト者へ。あなたがたは見たことのないキリストを愛しているが、これは信仰の結果であるたましいの救いを得ているからだ。神は朽ちる種からではなく、汚れないキリストという朽ちない種から私たちを新しく生まれさせた。これはいつまでも変わることのない神のことばによる。

2章「生ける石」
乳飲み子のようにみことばの乳を慕い求めなさい。キリストは人には捨てられたつまづきの石だったが、神に選ばれた生ける石だ。人の立てた制度に従いなさい。たとえ横暴な王でも。それは神に喜ばれることだ。キリストも模範として正しく裁かれる方にお任せになったから。

3章「祝福を与えなさい」
妻たちよ、夫に服従しなさい。夫が神のものとされるために。夫たちよ、妻を尊敬しなさい。祈りが妨げられないために。悪をもって悪に報いず祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継いでいるから。あなたがたのうちにある希望の説明を求める人にはいつでも弁明できるように。

4章「キリスト者の苦しみ」
キリストが肉体の苦しみを受けたから、あなたがたも欲望のためではなく神のみこころに従い、愛し合い、もてなし合いなさい。与えられた賜物を良く管理して仕え合いなさい。キリストの名のために非難や苦しみを受けるのは幸いだ。神の御霊とどまるから。さばきが近づいている。

5章「ゆだねなさい」
私はキリストの苦難の証人として勧める。神の羊の群れを心を込めて牧しなさい。群れの模範となりなさい。栄光の冠を受けるから。謙遜を身につけなさい。恵みが与えられるから。思い煩いをいっさい神にゆだねなさい。神が心配してくださるから。神のご支配が世々限りなくあるように。

■ペテロの手紙 第2

1章「信仰から愛へ」
ペテロからキリスト信者へ。主イエスを知ることで、恵みと平安が豊かにされますように。あなたがたはあらゆる努力をして、信仰から愛に至る備えをしなさい。これらを備えていない者は近視眼である。キリストのことは作り話ではなく、私が目撃したことだ。預言は神のことばなので、私的解釈を施してはならない。

2章「にせ教師」
あなたがたの中にもにせ教師が出るだろう。彼らは滅びをもたらす異端を持ち込むが、彼らが滅ぼされないでいることはない。神は罪を犯したものを裁き、敬虔な者たちを救い出す。キリストを知ってから再びこの世の汚れの奴隷となるなら、その終わりの状態は初めの状態よりも悪くなる。

3章「新しい天と新しい地」
キリストが未だ来臨しないのを嘲る人々は、この世界が火で焼かれるためにとっておられることを見逃している。神は忍耐深くあられる。私たちは新しい天と新しい地を待ち望み、敬虔であろう。無知な人は聖書を曲解する。救い主キリストの恵みと知識において成長しなさい。

■ヨハネの手紙 第1

1章「光の中を歩む」
私たちが見たり聞いたりしたいのちのことばについて伝えるのは、あなたがたも御父および御子イエスとの交わりを持つようになるためだ。神は光なのだから、私たちも光の中を歩もう。自分の罪を言い表すなら、神はその罪を赦し、私たちをきよめてくださる。

2章「御子と御父のうちに」
あなたがたが罪を犯さないようにこの手紙を書いている。みことばを守りなさい。まことの光がすでに輝いているから。世の肉の欲を愛するものは御父を持っていない。御父と御子を否認する者が反キリストである。御子と御父のうちにとどまりなさい。それが永遠のいのちである。

3章「行いと真実をもって」
キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となる。キリストにとどまる者、神から生まれた者は罪を犯さない。キリストが私たちのためにご自分のいのちをお捨てになったので、私たちに空いがわかった。口先だけではなく、行いと真実をもって愛そう。それが神の命令である。

4章「神は愛である」
神からの霊はイエス・キリストを告白するが、反キリストの霊はイエスを告白しない。私たちは互いに愛し合おう。愛は神から出ている。まず神が私たちの罪のなだめの供え物としての御子を遣わされた。ここに愛がある。イエスを神の御子と告白するなら、神がその人のうちにいる。

5章「永遠のいのち」
イエスをキリストであると信じる者は、神によって生まれている。イエスを神の御子と信じる者は、神を愛し、神の命令を守り、世に勝つ。神が御子についてあかししているのは、御子を信じるあなたがたが永遠のいのちを持っているということ。御子こそまことの神、永遠のいのちである。

■ヨハネの手紙 第2

「真理と愛」
選ばれた夫人とその子どもたちへ。私たちのうちに宿る真理によって、私たちはあなたがたを本当に愛している。真理は私たちとともにある。互いに愛し合いなさい。愛とは御父の命令に従って歩むことだ。イエスが人としてきたことを否定する人々に気をつけなさい。キリストの教えにとどまりなさい。

■ヨハネの手紙 第3

「ガイオへ」
愛するガイオへ。あなたが幸いを得、また健康であるように。あなたが神にふさわしい仕方で、神のために労する人々を旅に送り出したことは真実な行いだ。このような人々をもてなすことで、私たちも真理のために彼らの同労者になれるのだ。悪を見習わないで、善を見習いなさい。

■ユダの手紙

「信仰のために戦う」
神に愛され召された人々へ。主であるキリストを否定する人たちに対して、伝えられた信仰のために戦うようあなたがたに勧める。彼らはぶつぶつと不平を言う者で、自分の欲望のままに歩んでいる。神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる主イエスを待ち望みなさい。

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ウィル・ボウエン著「もう、不満は言わない」のクリスチャン的実践法

「もう、不満は言わない」という本を読んだ。米国の牧師ウィル・ボウエンが自分の教会で始めた運動らしい。ことは単純で、手にブレスレットをはめて、不平不満などをいうたびにブレスレットを逆の手に付け替える。それだけ。そして目標は21間、ブレスレットをはめ変えないこと。つまり3週間、不平不満を言わないこと。それだけのことなのだが、達成するのはなかなか大変らしく、大体の人は数ヶ月かかるようだ。

これは不平不満を言っていることを自分自身で発見し、意識し、制御し、変化していく営みだ。

これはいいアイデアだと思って、早速僕も輪ゴムを使ってやり始めた。あとで100円ショップで買ったブレスレットに変えたが、恥ずかしながらまだ2日続いたことがない。自分が不平不満を常に持っている人間だということに気づき始めた段階である。

ところでこの運動、良いことには違いないのだが、福音的な視点からはもう少し丁寧に意味付けするべきではないかと思うので考えてみた。

人は罪の中に死んでいて、自分の力で自身を救うことはできないというのが、救いを恵みとする福音の捉え方だ。これに対して、このブレスレットを使う方法論的な部分が、ややもすると「これは自分の意思で自分を良くする=自己義認」と捉えられるかも知れない。では福音的なクリスチャンがこの運動を実践するのは、自分の力で自己改善しようとする危険なことなのか?

僕はそう思わない。

まず第一に、これは救いの方法を教えるものではなく、日常に良い効果をもたらそうとする生活の知恵である。片付けがうまくできる本を、クリスチャンだから読んではいけないということはない。受験勉強するのにクリスチャンが参考書に頼っていけないということはない。救いとは次元の違う話なのだ。

第二に、これは神が喜ぶことである。聖書にはイスラエルの民が神に不平を述べたために神の怒りを買うシーンが何度も出てくる。不平不満は決して神に喜ばれるものではない。コモンセンスとして、不平不満が精神衛生上も好ましくないことは多くの人が同意することだろう。クリスチャンが、この運動を神に喜ばれる人になりたいという希望をもって行うのは、推奨されるべきである。

その上で、この運動を実践するにあたってクリスチャンとして留意すべき点をあげてみよう。

1.目的は神に喜ばれる人になることである。自分に満足するためでも、人に良く思われることでもない。逆に言うと、不平不満を言う僕たちはいつも神様を悲しませているということだ。ブレスレットを付け替えるとき、神様を悲しませたことを覚えて祈ろう。

2.不平不満を抱かせるのはサタンの働きである。サタンは常に現状を疑わせ、神の恵みに目がいかないようにさせ、神に従うことを妨害する。だからブレスレットを付け替える時、サタンと闘っていることを思い起こそう。

3.人を信仰者として成長させてくださるのは聖霊の神様の働きである。自分の力によるのではない。自分の力だと思った途端、サタンにつけこまれる。ブレスレットを付け替えるとき、聖霊の神様の助けを祈ろう。

4.不平不満を言わずに21日間を達成したら素晴らしいことだ。この本の中でも言われているように、確かに何かが変わったに違いない。しかしそれで満足してはいけない。肉体は弱いものだ。この世にある限り人は罪から逃れることはできない。完成を目指して走り続けよう。

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3000字で読むテサロニケ書第1~ピレモン書

新約聖書のパウロによる書簡のうち、「テサロニケ人への手紙第1」から「ピレモンへの手紙」までを章ごとにタイトルをつけ、内容を要約したものです。元はツイッターに投稿したものなので、要約本文は各章140字以内となっています。聖書を読む際の参考になれば幸いです。

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■テサロニケ人への手紙第1

1章「他の人々が言い広めている」
テサロニケの教会へ。あなたがたに福音が伝わったのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからだ。あなたがたの信仰は信者の模範となり、あらゆる所に伝わっているので、私たちが何も言わなくていいほどだ。他の人々がそれを言い広めているのだ。

2章「神のことばとして」
私は苦しみの中でも大胆に神の福音をあなたがたに語った。私は命を与えてもよいほどあなたがたを愛している。あなたがたは神の使信のことばを、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれた。主イエスが再び来られるとき、あなたがたは私たちの誉れ、喜びだ。

3章「信仰と愛」
あなたがたの所にテモテを遣わしたのは、あなたがたを強め励まし、動揺する者が一人も出ないようにするためだった。テモテがあなたがたの信仰と私たちへの愛について知らせてくれたので、私は大いに慰められ、神に感謝している。神があなたがたの所に行かせてくださるように。

4章「主と会う」
神のみ心は、私たちに聖潔を得させること。あなたがたから兄弟愛を教えられたが、ますますそうであって欲しい。外の人々に対して立派にふるまい、乏しいことがないようにするため、自分の仕事に身を入れ、働きなさい。再臨のときには私たちも天に挙げられ、主と会う。

5章「いつも喜び」
主の日は盗人のように突然やってくるから、目をさまして慎み深くしていよう。主が死んで下さったのは私たちが主にあって救いを得、主と生きるためだ。いつも喜び、絶えず祈り、全ての事に感謝しよう。神があなた方を全く聖なるものとしてくださるように。この手紙を回覧しなさい。

■テサロニケ人への手紙第2

1章「報いとしての安息」
テサロニケの教会へ。あなたがたの信仰が目に見えて成長していることを神に感謝している。あなたがたが苦しみを受けているのは神の国のためで、神は報いとして安息が与えて下さる。それは主イエスがくるときに起こる。その日、主イエスは聖徒たちによって栄光を受ける。

2章「不法の人」
主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、心を騒がせないように。今は引き止められているが、定められたときにサタンの働きで不法の人が現れ、自分こそ神だと宣言する。しかし神はそれを滅ぼされる。堅く立って、私たちがことばや手紙で教えたことを守りなさい。

3章「自分で得たパンを食べよ」
真実な主はあなた方を守ってくださる。神の愛とキリストの忍耐を持たせてくださるように。締まりのない歩み方をせず、静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。私たちの指示に従わない者を戒めなさい。主の恵みがあなた方すべてとともにありますように。

■テモテへの手紙第1

1章「罪人のかしら」
信仰によるわが子テモテへ。無益な議論を引き起こす空想話や系図に心を奪われず、愛を目標としなさい。福音は律法を守れない罪人を救うためにこの世に来られた。私はその罪人のかしらだ。私が憐れみを受けたのは、今後イエスを信じて永遠のいのちを受ける人々の見本にするためだ。

2章「平安で静かに過ごすため」
私たちが平安で静かに過ごせるために、高い地位にある人たちのために祈りなさい。神はすべての人が救われることを望んでいる。キリストは神と人との間の唯一の仲介者である。男は怒らず、女は慎ましくありなさい。アダムの次にエバが造られたからである。

3章「監督と執事」
教会の監督の職に必要なのは自制心、品位、教える能力である。執事も教会外にも評判が良く、謹厳な人である。いずれも子どもと家庭とをよく治めている人でなければならない。教会は神の家、真理の柱、土台である。そこでどのように行動すべきかをこの手紙で書いている。

4章「しっかりやりなさい」
後には食物を禁じたりする人たちが現れるだろうが、神が造られた物はみな良い物だから、感謝して受けなさい。これらのことを教え、また敬虔のために自分を鍛錬しなさい。若くても軽く見られないように、信者の模範となりなさい。聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。

5章「やもめ、長老」
やもめに親族がいる場合は親族が世話をするべきで、教会は身寄りのないほんとうのやもめを助けなさい。若いやもめは結婚させなさい。良く指導している長老は尊敬を受けるべきだ。偏見を持たず、軽々しく按手せず、自分を清く保ちなさい。罪も良い行いもいずれ明らかになる。

6章「信仰の戦い」
主キリストの健全なことばと敬虔な教えを守りなさい。満ち足りる心を伴う敬虔こそ大きな利益を受ける。金銭を愛することはあらゆる悪の根である。信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。そのために召されたあなたは、委ねられたものを守りなさい。

■テモテへの手紙第2

1章「良いものを守る」
テモテへ。あなたの純粋な信仰を再び燃え立たせなさい。神はおくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えられた。神は私たちを救い、聖なる招きをくださった。それはご自身の計画と恵みによる。あなたに委ねられた良いものを、聖霊によって守りなさい。

2章「尊いことに使われる器」
キリストにある恵みをもって強くなりなさい。兵士、競技者、農夫のように労苦しなさい。キリストは常に真実である。聞いている人を滅ぼすようなことばの論争を避け、恥じることのない働き人として自分を神にささげなさい。無駄話を避けるなら、尊いことに使われる器となる。

3章「聖書は」
終わりの日には困難な時代がくる。その実敬虔を否定する者を避けなさい。キリストにあって敬虔に生きようと願う者は迫害を受ける。しかしあなたは学んで確信したところにとどまりなさい。聖書は神の霊感によるもので、知恵を与えてキリストへの信仰による救いを得させる。

4章「しっかりやりなさい」
神の御前で命じる。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。人々が真理から耳を背けていく時代になるから。私は走るべき道のりを走り終えた。私たちのことばに反対し苦しめた人々もいたが、主は私を助け出して天の御国に入れてくださる。

■テトスへの手紙

1章「長老にふさわしい人」
信仰によるわが子テトスヘ。あなたをクレテに残したのは、町ごとに長老を任命するためだった。健全な教えをもって励ましたり、反対者を正したりするため、非難されるところのない人を選びなさい。不従順で、神を知っていると言いながら行いでは否定する人たちがいるから。

2章「健全な教え」
老人には健全であるように、年をとった婦人には良いことを教える者であるように、若い人々には思慮深くあるように、奴隷には主人に従うように教えなさい。神の恵みが現れ、不敬虔とこの世の欲を捨てて、救い主イエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたから。

3章「確信をもって話す」
支配者、権威者に従い、良いわざをさせなさい。私たちも以前は愚かだったが、神のいつくしみと人への愛は、義のわざではなくあわれみによって私たちを救ってくださった。恵みによって義と認められ相続人になるという信頼できることばを、確信をもって人々に話しなさい。

■ピレモンへの手紙

1章「オネシモのこと」
愛する同労者ピレモンへ。主を受け入れたオネシモを送り返す。彼は私の心そのもの、もはや奴隷以上の者、愛する兄弟となったのだから、私を迎えるように彼を迎えてやってほしい。彼によって受けた損害や負債は私に請求してほしい。私の心をキリストにあって元気づけてほしい。

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3000字で読むガラテヤ書~コロサイ書

新約聖書のパウロによる書簡のうち、「ガラテヤ人への手紙」から「コロサイ人への手紙」までを章ごとにタイトルをつけ、内容を要約したものです。元はツイッターに投稿したものなので、要約本文は各章140字以内となっています。聖書を読む際の参考になれば幸いです。

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■ガラテヤ人への手紙

1章「啓示による使徒」
使徒パウロからガラテヤの諸教会への手紙。あなたがたは私が宣べ伝えた福音から逸れてしまっている。私が伝えた福音は人間によるものではなく、かつて教会を迫害していた私へのキリストの啓示による。神は私を選び分け、恵みをもって伝道のために召してくださったのだ。

2章「私のうちに生きるキリスト」
ペテロが割礼を受けた人々への使徒であったように、自分は異邦人に対する使徒とされている。異邦人にユダヤ人の生活を強いてはいけない。人は律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるのだから。キリストは信仰を持つ私のうちに生きている。

3章「律法ではなく信仰」
愚かなガラテヤ人よ、キリストによって受けた御霊を肉の行いで完成させようというのか。御霊による神の相続の約束は、律法の行いではなく、神への信仰によって与えられるのだ。律法によって義と認められる者はいない。あなた方はキリストへの信仰によって神の子どもなのだ。

4章「奴隷ではなく子」
あなたがたはかつて律法の下でその奴隷だったが、今は御子の御霊のゆえに奴隷ではなく子であり、神の相続人だ。自分たちに熱心にさせようという他の教えは正しくない。アブラハムの相続人は自由の女による約束の子であって、奴隷の子ではなかった。あなたがたは自由の子だ。

5章「御霊によって歩め」
キリストは自由を得させるために私たちを解放してくださった。この自由を肉の働く機会とせず、愛を持って互いに仕え合いなさい。肉の願いは御霊に逆らう。御霊によって歩みなさい。そして愛、喜びなどの御霊の実を身につけなさい。

6章「十字架のみを誇りとして」
互いに重荷を分け合いなさい。自分の行いを誇ったりせず、負うべきものを負い、分け与えなさい。私たちの誇りは十字架のみであって、割礼の有無ではない。大事なのは新しい創造だ。この身にイエスの焼き印を帯びている私が、この手であなたがたに書き送る。

■エペソ人への手紙

1章「キリストにあって」
エペソの聖徒たちへ。神はキリストにあって、恵みによって私たちをあらかじめ選び、祝福してくださった。それは神の栄光がほめたたえられるためである、私たちは聖霊をもって、御国を受け継ぐ約束の証印を押された。あなたがたが神の力の偉大さを知ることができるように。

2章「神の家族」
私たちは罪過の中に死んでいた者だが、キリストにあって恵みのゆえに信仰によって救われた。行いによるのではない。私たちは神の作品である。キリストがユダヤ人と他国人の隔ての壁を打ち壊したので、両者とも一つの御霊によって一つの国民、神の家族なのである。

3章「人知を越えたキリストの愛」
私の務めは、キリストの福音により異邦人も約束に与る者となるという奥義をあなた方に伝えることだ。これは神の永遠のご計画によることだ。私たちは信仰により神に大胆に近づくことができる。あなた方が全ての聖徒とともに、人知を越えたキリストの愛を知ることができるように。

4章「召しにふさわしく」
あなた方は召しにふさわしく歩み、御霊の一致を熱心に保ちなさい。それぞれ違った賜物が与えられているのは、キリストのからだを建てあげ、信仰と知識において一致し、完全におとなになって、キリストに達するためである。それぞれが力量にふさわしく働き、結びあうのだ。

5章「光の子どもらしく歩みなさい」
キリストがあなた方を愛してご自身をささげられたのだから、あなた方も主に喜ばれるように、光の子どもらしく歩みなさい。機会を十分に生かして用いなさい。御霊に満たされなさい。妻たちよ、夫を敬い従いなさい。夫たちよ、妻を自分自身のように愛しなさい。

6章「神の武具を身につけよ」
子どもたちよ、両親に従いなさい。親たちよ、子供をよく教育、訓戒しなさい。奴隷たちよ、主人に善意をもって仕えなさい。主人たちよ、おどすことはやめなさい。悪魔に対して、神の武具を身につけ立ち向かいなさい。どんな時にも御霊によって祈りなさい。主の恵みがあるように。

■ピリピ人への手紙

1章「福音にふさわしく」
ピリピの人たちへ。あなた方のために祈るごとにいつも喜びと感謝がある。私が投獄されている間にもあらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられていることを喜んでいる。私にとって生きることも死ぬこともキリストのためだ。心を一つにしてキリストの福音にふさわしく生活しなさい。

2章「志を一つにして」
あなたがたは一致を保ち、志を一つにしなさい。キリストは神の御姿なのに、ご自分を無にして人となられたので、神はこの方を高く上げられた。神はみこころのままに私たちのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる。それは私たちが世の光として輝くためである。

3章「この一事に励む」
私は人間的には誇るものを持っているが、キリストのゆえにこれらを損と思うようになった。私はキリストの栄光のからだと同じようになるために、この一事に励んでいる。目標を目指して一心に走っている。兄弟たちよ、私に見ならう者となってほしい。私たちの国籍は天にあるのだから。

4章「主にあって喜びなさい」
あなたがたはいつも主にあって一致し、喜びなさい。何も思い煩わないで祈りと願いささげれば、神の平安がキリストにあって守って下さる。あなたがたが私の乏しさを補ってくれたことを感謝している。神があなたがたの必要を満たして下さる。聖徒たちひとりひとりによろしく。

■コロサイ人への手紙

1章「真の知識に満たされなさい」
コロサイの聖徒たちへ。あなた方の愛に感謝する。福音は実を結び広がり続けている。神を知る真の知識に満たされるように。神は私たちを御子の支配のうちに移し、罪の赦しを得させた。御子は神のかたち、万物の造り主、万物を目的である。この福音の望みからはずれないように。

2章「幼稚な教えに戻るな」
あのむなしい、だましごとの哲学にだまされないように。それはキリストによるものではない。神は私たちを攻め立てている債務証書をキリストにあって無効にされた。だからもはや人間の戒めに縛られる必要はない。それらは賢いものに見えても、肉の欲望には何のききめもない。

3章「愛を着けなさい」
私たちはキリストとともに栄光のうちに現れるのだから、古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着て歩みなさい。そしてすべての上に、完全な結びの帯としての愛を着けなさい。互いに赦し合い、感謝にあふれて神を賛美しなさい。何をするにも、主に対してするように、心からしなさい。

4章「塩味のきいたことばを」
外部の人たちに対して賢明にふるまい、機会を十分に用いなさい。あなたがた言葉がいつも親切で塩味のきいたものであるように。私たちの様子を知らせるためテキコとオネシモを送る。こちらの人々があなたがたによろしくと言っている。この手紙を回して読むように。

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なぜ神は善悪の知識の木を置いたのか(後)

■Yさんからの返答

ご意見を拝見させて頂きました。
こんな私でもわかりやすく説明して下さって本当に有難うございました。
私も確かに共感出来る部分がございます。
ただ疑問となる点がございましたので伺ってもよろしいでしょうか?
疑問点
・結果がわかっているのに意思を選択させる必要があるのかどうか?
・その意思選択で結果がわかっている善悪の木を選択させるのはいかがなものか?
・善悪の木を選択させ原罪にする事が神のなさりようなのかどうか?
・原罪になり救いの道を用意するといっても、元はといえば元凶は結論をわかっている神が
 善悪の木を置いたからではないでしょうか?それを救いの道を作ったから褒め称えろと
 言われても…褒め称える事は難しいと思われませんか?置かなければよかったのに
 と思うのが普通の自然な考えではないでしょうか?

■ねりまんの返事

この問題はキリスト教会の中でも重要なものです。重要というのは、理解が難しいという意味もありますが、聖書を信じる信仰とは何か、という根本的、本質的な問題を含んでいるからです。大変失礼な言い方になり申し訳ないのですが、そういう意味で、非キリスト者がこれを心から納得するのは非常に困難なことと言わざるを得ません。非キリスト者にとってはどうしても矛盾追求型の問い、初めから聖書を否定するための問いになりやすいからです。この問題は信仰を持つ者にとって、聖書の受け取り方を整合させるために真に意味のある問題と言えます。

とはいえ、あなたが聖書を真摯に読み、以前から問い続けている問題だとしたら、また神や信仰を理解したいと思うがこの問題でつまづいているということなら、それに回答する努力は意味があることだと思いますので、試みてみようと思います。

いくつか追加でご質問をいただきましたが、個別に回答するより、全体像をわかってほしいのです。要するに、神があらかじめ結果がわかっている、というところに引っかかりを感じておられるのですね。
順序として、まず神の全知を外して考えてみてください。結果がわかっている、ということを一旦頭から除いたら、次の一連の説明はある程度納得できるでしょうか。

1.神は人格的な交流を持つ相手として、人間を自由意志を持つ存在として創造した。
2.自由意志を自覚するためには、自由意志が働く場が必要であった。そのため善悪の木を置いた。(この場合、木に何か作用があるのではなく、禁じられたことを守るかどうかという意志判断に意味があります)
3.人間は誘惑され、自由意志を用いて禁じられた木の実を食べた。すなわち神に逆らうことを選択した。その結果罪が人間に入った。
4.神は人間を愛していたので、罪のまま滅ぼすことを望まず、救いの道を用意された。

この流れが(話として)納得できるのであれば、次の段階です。神が全知であるということの関係を考えましょう。
ここで非常に重要な点が2点あります。

5.神は、時間に対して制約される方ではない。世界を造った神は、時間をも支配しているということ。
6.神の行動や感情の表現は、人間とは異なるということ。

神の全知と1〜4の流れが矛盾するように思えるのは、この5、6を念頭に置いていないからだと思われます。つまり、神の「時間」に対する接し方や、神の行動や感情の表現方法が、人間と同じだと考えているということです。人間は例えば、サッカーの試合を見るとき、生で見るのと、結果がわかっていて後からビデオで見るのとでは、行動も感情も全然違いますよね。すなわち、

7.人間にとって時間は一方向に流れるものであり、時間の流れに逆行したことはできない。
8.それ故、人間の行動や感情は、未来を知らないという前提で表現される。

5、6と7、8の違いが念頭にない、すなわち神を人間と同じと考えているために、「なぜ神は結果がわかっているのに木を置いた?」という問いかけになるのだと思われます。

神は全知全能です。全知であると同時に、全能なのです。時間を含めたあらゆる事物を創造された方なのです。ですから、「結果がわかっている」ということが7と同じではなく、また「結果が分かった上で行動する、感情を持つ」ということが8と同じではない、ということです。一見、サッカーの結果をしりつつ、知らないかのような行動や感情をとる、神はこれらを両立させることができる、ということです。このような、神の超越性を受け入れないと、疑問は解決しません。

同じようなことは聖書にいくらでも出てくるのです。聖書には、神が怒ったり、悔いたり、考え直したりという表現が出てきます。でも一方、神は人が祈る前に内容をご存じだともあるのです。これら一見矛盾するようなことを、聖書を信仰する者は、両方受け入れるのです。神のそうした感情表現は、そう書いたほうが人間と人格的な交流を持つために理解しやすいからであると私は考えています。神にとっては、「時間的に先のことがわかる」ということではなく、全体が俯瞰され、世の始めから終わりまで既にすべて完成されているのです。それを、(哲学や相対性理論を知らなくても)人間の時間軸に沿って、人間がわかるように、人間のほうに歩み寄って書いてあるのが聖書である、と捉えているのです。ですから、この問題は、聖書信仰とは何かという問題を含むということです。

長くなってしまいました。少しでも理解のお手伝いができれば幸いです。

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なぜ神は善悪の知識の木を置いたのか(前)

■Yさんからの質問

創世記の基本的な点でずっとおかしいと悩んでいます。なぜ神は、自由意志のあるアダムとエバがいる所に善悪の知識の木を置いたのですか?
置いたらいつかは食べてしまう事がわかっていたはずですよね?
結末がどうなるかもわかっているはずですよね?
それならば園に置かなければよかったのにどうして置いたのでしょうか?
置かなければずっとそのままの環境が永遠に続いたはずですから。
私は伺いたいのは、完全な神が結末がわかっているのにどうして自由意志のあるアダムとエバがいる所に善悪の知識の実を置かれたのかという本質的な事についてです。不敬を承知で申し上げますと、追い出すつもりで準備期間を用意したとしか考えられないのです。それか神が間違えられたとしか。

■ねりまんの回答

自由意志と木を置いた関係が疑問ということでよろしいでしょうか?

自由意志があるとは、ロボットのような非人格としてではなく、他の制御を受けずに自ら決することができる人格である、ということですね。つまり自由意志が自由意志として現れるためには、意思が発揮される場が必要になります。例えて言えば、自分が日本人であることを意識するのは外国に行った(触れた)ときではないでしょうか。アダムとエバが、自分たちに自由意志があると自覚できるのは、その意思によって何かを選択するという場面が必要です。神はそのために善悪の木を置かれたのです。
さて、あなたも理解しているように、全知全能の神は、彼らがどちらを選択するかはわかっていたと言えます。ですから、神がそこに木を置いたのは、神が「人間はどっちを選ぶかなあ」と観察するためではありません。むしろ、人間自身が「私は自由意志があったのに、悪を選んでしまった」と認識するためです。そしてそのことによって人間に罪が入り、自ら善を選べない状態(原罪)になってしまった、これを人間が知るためです。

では、それによって何が起こるでしょうか?神は直ちにサタンに「おまえの頭を踏み潰す」と勝利宣言をしたのです。すなわち、原罪を持ってしまった人間のために、イエス・キリストを犠牲にして信じるものを救うという、救いの道を用意したのです。人間が「悪を選んでしまった私たちのために、神は愛するひとり子を犠牲にしてくれた、それほど私たちを愛してくださった」と神を褒め称える、これが神の栄光です。そして最終的な終末のときには、このイエスの救いを信じたものが神の国を相続する、これが聖書から読み取れる、善悪の木から終末までの大きな流れです。

なぜ神はこのような流れをよしとしたのか、そこまではわかりませんが、聖書からわからないことは、わからなくていいから書いていないのです。聖書からわかるのは、そういう事実があり、そういう事実に終わる、そこに神の栄光が現される、ということです。

ウエストミンスターの教理問答書の第1問目は「人の生きる目的は何か」で、その答えは「神の栄光を現すこと、神を喜ぶこと」です。まさに、罪ある人間のために神がしてくださったことが、人間をして神を褒め称えさせるのです。

ごちゃごちゃ書きましたが、このように善悪の木は救いの御業とセットで考えないと、意味がわからなくなります。理解の助けになれば幸いです。

(続く)

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戦争ドラマ「傷跡の癒えた日」を電子書籍化しました

8月、戦争ドラマで神様との心の平和について考えてみませんか。

キリスト教ラジオ番組「この指とまれ」で放送された戦争ドラマスペシャル作品を電子書籍でお読みになれます。

かつて日本本土を初空襲したドゥーリットル攻撃隊の一員だった元軍人と、渡米した日本人留学生との間に起きた感動的な出来事を基に、憎しみや葛藤を乗り越えて神に与えられた心の平和を描くドラマです。

「これは単なる美談で終わらせてほしくない。信仰を持っていても、人を愛する、人を赦すことがいかに困難であるか、いかに神により頼むしかないかを伝えたい。」(日本聖公会・植松誠師)

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キリスト教電子書籍・デジタルコンテンツ専門ショップ ホープ・イーブックスにて。

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ブログの内容が電子書籍になりました!「ITエンジニアのためのキリスト教入門」

このブログの内容が電子書籍になりました!

ソフトウエアエンジニアとして従事してきた筆者が、バグ、仕様書、ドライバといったソフトウエアにつきものの概念からキリスト教信仰とは何かを解きほぐす異色の入門書です!

「ITエンジニアのためのキリスト教入門 」 上下巻各100円

Photo

内容は、基本的に上巻がこのブログのフェーズ1「キリスト教とは何か」、下巻がフェーズ3「信仰にある生き方」ですが、もちろん電子書籍ですから、読みやすさはぐんとアップしています。ブログを読んだ方もそうでない方も、コンピュータやソフトウエアに関わる方に読んでいただきたい、そしてキリストに出会っていただきたいというのが私の願いです。

7月にオープンしたばかりのキリスト教専門電子書店、ホープ・イーブックスにて購入できます。スマートフォンや電子ブックリーダーで読めるePub 形式の他、PDF形式も選択できるのでPCでもお読みいただけます。ぜひご利用ください。

上巻 「キリスト教とは何か」
  第1章 神と聖書
  第2章 聖書のいう罪
  第3章 神はいかに人を救うのか
  第4章 応答としての信仰

下巻 「信仰にある生き方」
  第5章 信仰のさらなる理解のために
  第6章 教会の礼拝を知ろう
  第7章 クリスチャン-この不思議なる生き方

「上巻では、キリスト教や聖書にまったく触れたことがない、でもどんなものか知りたいという方のために、キリスト教信仰のエッセンスを解説しています。また下巻では、クリスチャンのものの考え方や、キリスト教会の礼拝プログラムの意味について解説しています。どちらも、ITエンジニアの方に馴染みのある言葉、概念を足がかりにして、そこから信仰というものをイメージしやすいように解説したつもりです。また、そのIT用語自体にも簡単な説明を加えてありますので、ITエンジニアではない方でもコンピュータが好きな方なら理解していただけるのではと思っています。」(「まえがき」より)

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2000字で読む「コリント人への手紙 第2」

新約聖書の「コリント人への手紙 第2」を章ごとにタイトルをつけ、内容を要約したものです。元はツイッターに投稿したものなので、要約本文は各章140字以内となっています。聖書を読む際の参考になれば幸いです。

   ★
   
1章「コリント訪問の計画」
私は耐え難い苦しみで死をも覚悟したが、神は救い出してくださった。あなたがたも祈りで協力してくれる。あなたがたの所へ行く計画は軽率に立てたものではない。主イエスには「しかり」だけがある。私はあなたがたを支配しようとするのではなく、喜びのための協力者なのだ。

2章「前の手紙の理由」
私は苦しみのうちに涙ながらに前の手紙を書いた。それはあなたがたを悲しませたが、私はあなたがたに愛をしめし、従順をためした。あなたがたはその処罰された人を赦し、慰めてあげなさい。神はいつでも私たちを勝利させ、私たちを通してキリストのかおりを放ってくださる。

3章「おおいを取りのけて」
神は私たちに新しい契約に仕える者となる資格を与えてくださった。かつてモーセが石の板に記した文字と違い、御霊によってあなたがたの心の板に書かれたものだ。主が心のおおいを取り除いてくださるので、主に向く私たちは主の栄光を反映させながら、主と同じ姿に変えられていく。

4章「勇気を失わない」
私たちは主なるキリストを宣べ伝える。その中で四方八方から苦しめられるが、窮することはない。死に直面することでイエスのいのちが明らかに示されるから。信じることを語ることで神の栄光が現れるので、私たちは勇気を失わない。外面は衰えても内側は日々新たにされている。

5章「新しく造られた者」
私たちの肉体は死ぬが天に永遠の家がある。この天の住まいに入るように私たちは説得しているのだ。私たちはさばきの座で各自の行いに応じて報いを受けることになるが、キリストのうちにある人は新しく造られた者として神と和解することができる。神の和解を受け入れなさい。

6章「生ける神の宮」
今は恵みの時だから、神の恵みをむだに受けないようにしなさい。私たちは親が子に対するように言うので、あなたがたも私たちの言う事に心を開いて聞き入れてください。信者と不信者とに一致はありません。私たちは生ける神の宮だから。神の宮と偶像には一致はありません。

7章「救いに至る悔い改め」
前の手紙であなたがたを悲しませたが、遣わしたテトスがあなたがたに受け入れられたことで、その悲しみが無駄ではなかったことを知り喜んでいる。神のみこころに添った悲しみは、救いに至る悔い改めを生じさせる。私はあなたがたのことを信頼し、誇りに思っている。

8章「持っている程度に応じて」
マケドニヤの教会が惜しみなく施し恵みに与かったのと同様に、あなたがたも熱意があるなら持っている程度に応じて捧げなさい。余裕のある人が他の人の欠乏を補うことで平等になるためである。テトスらを遣わすので、あなたがたの愛と誇りの証拠を諸教会に示してほしい。

9章「喜んで与える」
あなたがたの熱心は多くの人を奮起させている。どうか私たちの期待通りに準備しておいてほしい。この献金を、各人が惜しみながらではなく、心で決めたとおりに喜んで与えなさい。そのことで人々が感謝で満ちあふれるようになり、神をあがめることになるだろう。

10章「誇る者は主を誇れ」
あなたがたの中で私たちを批判している人たちに、強気で振る舞いたくはない。あなたがたをおどしているようには見られたくない。ただ自己推薦は知恵のないことだ。私たちは限度を越えて誇らない。誇る者は主を誇りなさい。主に推薦される人こそ、受け入れられる人だ。

11章「愚か者の誇り」
私はあなたがたをキリストの花嫁としたのだから、にせ使徒たちに気をつけ、異なった福音を受けないようにしなさい。彼らが愚かにも肉を誇るなら、私も誇ろう。私もアブラハムの子孫であり、キリストのしもべであり、様々な困難にも出会い、また弱い者だ。私は自分の弱さを誇ろう。

12章「弱いときこそ強い」
私は肉体のとげを去らせてくださいと願ったが、主は恵みは弱さのうちに完全に現れると言われた。だから誇るならば私は自分の弱さを誇る。だが私は使徒であるし、あなたがたに何の負担もかけていないことをわかってほしい。私は自己弁護ではなく、神の御前で語っているのだ。

13章「自分を吟味しなさい」
私たちはキリストの権威によって語っていることをわかってほしい。今度あなたがたの所に行ったときは、罪を犯している者を処罰するつもりだが、そうしなくていいように自分自身の信仰を試し、自己吟味しなさい。私たちはあなたがたが完全になることを望んでいる。

   ★
   

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事実と真実と信仰についての考察 3

福島第一原発の状況はいまだ予断を許さない。1号機から3号機はメルトダウンに陥り、放射能の放出量は何十万テラベクレルという。これがどのくらいの量なのか僕には見当もつかないが、正しい情報を迅速に示さなかった(示せなかった?)政府に世間も苛立っている。至極もっともだと思う。

が、政府の対応の是非はこの際置いておくとして、結果論(あくまで結果論)としては、情報が小出しにされたことにより大パニックが避けられたのは間違いないと僕は考えている。患者にガンを告げるときには細心の配慮が必要とされる。事実をそのまま伝えれば良いというものではないはずだ。告げられる側の事実を受けとめる力が問われることになる。あの時日本には、メルトダウンという事実を冷静に受け止める力はなかったと思う。浄水場で放射能が検出されたと報道されたあと、首都圏の店頭から飲料水がことごとく消えたことでもわかる。メルトダウンなどと聞いたら、食料も入手できず、経済は完全麻痺、民族移動の大混乱が起こり、被災地支援など二の次になっていたと思う。

さて、僕はここで原発問題を論じたいわけではない。話は「事実と真実」だ。

たとえば5つのパンと2匹の魚で5千人が満腹したという聖書の話。これが、皆が少年に恥じ入って、隠し持っていた弁当を差し出したというのが真相なのだとしたら、なぜそのように書いていないのか。素直に「皆が弁当を差し出した」と書けばよいのではないだろうか。それをわざわざ5つのパンと2匹の魚が増殖したように書く理由はなんだろう。いくら当時の人々でも、こんな記事を読んだら普通有り得ないと思うだろう。ある出来事を神秘的に、象徴的に表現しようとしたのだろうか。しかし読み手がどう受け止めるかと考えた時、「皆が弁当を差し出した」と書けば十分その意図は伝わるはずだ。なぜわざわざ、信じてもらえそうにない話をこしらえる必要があったのだろう。象徴的に解釈する方は、この問いに何と答えるのだろう。聖書記者は事実をありのままに記述した、と考えるほうがずっと理にかなっているのではないだろうか。

(続く)

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事実と真実と信仰についての考察 2

用例の続きだが、コンビニに寄ったら雑誌コーナーに「信長の真実」という特集の歴史雑誌がおいてあった。パラパラめくってみると、桶狭間の戦いだとか安土城だとか本能寺の変ももちろん載っているのだが、驚いたことには、本能寺の変は明智光秀一人の謀反ということではなく、実は光秀の裏で糸を引いていた黒幕がいるという説があり、その諸説が書いてある。へえと思いつつ、雑誌を買わなかったのでそれ以上詳しくはわからない。まあ「信長の真実」というからにはやはりそのくらいのことが書いていなくてはならないだろう。

つまりこの場合「真実」とは、信長がしたこととか、光秀が謀反を起こして信長を討ったという事実から一歩踏み込んで、「本当に信長を狙っていたのは誰だったのか」ということを指しているのだろう。

すなわち「真実」とは、表面に見える事実から一歩中に踏み込んだ、人の内面だったり事の背景だったりというものと言えそうだ。

そうなると興味深いことに、ある主張が真実なのかどうかは、実のところなかなか判断が難しそうだ。信長を討ったのが光秀だということは史実としてまあ間違いないことなのだろう。表面に見える「事実」は誰がみても大体同じように認識されるが、真実は、隠れているというか、目に見えるものではないから。真実とは本来的には普遍的に正しいことを言うはずだが、皮肉なことにその捉え方は誰でも一律同じようにとはいかないのではないだろうか。光秀を操っていた人物が仮にいたとして、それが歴史的に動かし難いものであればもはや「真実」ではなく「事実」と表現するだろう。「真実」とはかくして、謎めいた印象のある言葉のようだ。

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事実と真実と信仰についての考察 1

「聖書に書いてあるのは、事実ではなく真実だ」という論を目にすることがある。

恐らくその意味はこうだろう。

「聖書には様々な奇跡や不思議な出来事も書かれているが、それらをすべてそのまま文字通り起こったと考える必要はない。大切なのはその記事が歴史的な意味での事実かどうかではなく、何を言おうとしているかだ。それが聖書のいう真実なのだ。」

例えば聖書にはこんな話がある。イエスが、1人の男の子が差し出したパンと魚を受け取って皆に分けると、空腹だった何千人もの人が満腹し、パンくずの余りまで出たという。これを「そんなバカげたことが」と一笑に伏すのではなく、「イエスの言葉は人々の心を満ち足らせる力があった」という意味だとか、「皆が男の子の献身的な行為に恥じ入って、隠し持っていた食物を我先に差し出したのだ」とか、そういう「真実」を読み取るべきだと言うのである。なるほど、そういうことならこの話を納得しやすいし、多少モノの道理をわきまえているようにも感じられる。何千年も語り継がれている聖書だ、それなりの真実があろうというものだ。

ところが、私もそうだが、いわゆる福音派と呼ばれる信仰の流れをもつクリスチャンは、「聖書は神の言葉であり、事実として書いてあることは事実起こった」と信じている。なので、「事実ではなく真実だ」という言い方には微妙に抵抗感を覚えるのである。

さて、しばらくこの微妙な抵抗感について考察してみたいと思う。僕の疑問点は、「事実ではなく真実」ということの意味と、そう主張する人はいったい聖書の何を信じているのか、さらにはいったい、聖書を理解するのにどちらの態度が相応しいのだろうか。ということだ。現時点で考えがまとまっているわけではないので、日々思うところを書き綴っていくことになるだろう。ご意見もいただければ幸いである。

というわけで、まずは事実と真実という言葉が通常どのように使われているかを考えてみたい。

「事実」の用例

・彼女が某俳優と交際しているというのは事実だ。
・事実、その日彼はその場所にいたのである。
・僕が君との約束を破ったなど、事実無根だ。
・あなたがあの屋敷で幽霊を見たというのは事実なのですか。
・今ここで事実を明らかにしたまえ。

「真実」の用例

・確かに彼は嘘をついた。だがそれは彼女のためを思ってのことだ、それが真実だ。
・この小説には人間の真実が描かれている。
・あなたに真実をつくすと誓います。
・代表チームの栄光の陰に隠された真実とは。
・今ここで真実を明らかにしたまえ。

といったところだろうか。ほかに良い例があればご提示願いたい。

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2000字で読む「コリント人への手紙 第1」

新約聖書の「コリント人への手紙 第1」を章ごとにタイトルをつけ、内容を要約したものです。元はツイッターに投稿したものなので、要約本文は各章140字以内となっています。聖書を読む際の参考になれば幸いです。

   ★

1章「誇る者は主を誇れ」
コリントの教会では分派があった。パウロは一致を強く勧める。パウロは自分が高められるために宣教したのではない。ことばの力でもない。救いは自分たちの知恵ではなく、神の知恵によるもの。神の御前で誰も誇ることがないために、愚かで弱い私たちが召されたのである。

2章「御霊によって」
パウロの宣教は説得力のある言葉によったのではなく、御霊と御力による。人の心のことはその人の霊にしかわからないように、神の御心は神の御霊しか知らない。神はこの御霊によって私たちに神から賜ったものを知らせ悟らせる。御霊のことは御霊によってわきまえるもの。

3章「人を誇るな」
あなたがたの間にねたみや争いがあり、パウロだ、アポロだと人について誇るのは、まだ肉に属しているということだ。大事なのは信仰を成長させる神。あなたがたは神の御霊が宿る神殿でありキリストのものなのだから、人を誇るのではなく、イエス・キリストを土台とすべき。

4章「この世の愚か者に」
私たちは神の奥義の管理者として忠実になるべき。相手と比較し合って高慢にならないように。私は死罪になったかのように世の見せ物、愚か者のように生きている。飢え乾きながら労している。私にならう者となりなさい。主のみこころならすぐにもそちらの様子を見に行く。

5章「悪い人を除きなさい」
不品行な者を仲間内に受け入れたままのあなたがたは高慢になっている。古いパン種を除きなさい。しかし世の中の不品行な人たちと全然交際しないようにという意味ではない。それではこの世界から出ていかなければならない。私が言うのは内部の人についてである。

6章「からだは聖霊の宮」
あなたがたは仲間うちで争いを起こし、自分たちで裁けず世の裁判に訴えるのか。なぜむしろだまされていないのか。あなたがたのからだはキリストの一部、聖霊の宮だ。そのからだで不品行を行ってはならない。代価を払って買い取られたからだをもって神の栄光を現しなさい。

7章「そのままの状態で」
私のように独りでいられるならそれがよいが、不品行を避けるため結婚し、互いに権利を持つ相手に対して義務を果たしなさい。おのおの召されたときの状態で神の御前にいるのがよいが、人それぞれの生き方がある。結婚したからといって罪を犯すわけではない。結婚させなさい。

8章「つまずきとならないように」
偶像にささげた肉について、神は唯一であり偶像の実体はないが、良心の弱い人のつまずきになるなら、それを食べるのはキリストに対して罪を犯すことになる。信仰の弱い人に配慮し、知識ではなく愛によって行動しなさい。キリストはその兄弟のためにも死んでくださったのだから。

9章「すべての人の奴隷」
ある人を獲得するためにその人のようになる、ということはどういうことなんだろう。その人の気持ちになるということか、同じ立場に身を置くということか。その人の益となるように奉仕するということだろうか。考えてみるほどに深い箇所。

10章「何事も神の栄光のために」
父祖たちの先例を教訓とし、同じ轍を踏まないように偶像崇拝を避けなさい。私たちはキリストにあって一つなのだから。すべてのことはしてもよいが、徳を高めるとは限らない。自分の利益ではなく他人の利益を求めなさい。何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

11章「自分を吟味して」
祈るときに女はかぶり物をつけ、男はつけるべきでない。男と女には神の定めた秩序がある。しかしすべては神から発している。あなたがたは食事をしに集まるのに勝手に飲食し貧しい人を辱めている。主イエスとの最後の食事を覚えて、自分を吟味してパンを食べ、杯を飲みなさい。

12章「ひとりひとりは各器官」
一つのからだが多くの器官からなっているように、同じ一つの御霊によりおのおのにそれぞれ違った賜物が与えられている。一つの部分が苦しめば全体が苦しみ、一つの部分が喜べば全体が喜ぶ。分裂せずいたわり合いなさい。あなたがたはキリストというからだの各器官だから。

13章「愛がなければ]
預言や異言の賜物を持っていても、どんなに知識や信仰を持っていても、身を犠牲に差し出しても、愛がないなら何の値打ちもない。愛は寛容で親切、妬まない、争わない。愛は決して絶えない。いつまでも残るものは信仰と希望と愛だが、その中で一番すぐれているのは愛である。

14章「預言と異言」
異言は自分の徳を高めるが、預言は教会の徳を高める。教会の徳を高めるために御霊の賜物を求め、異言を語る者は解き明かしができるように祈りなさい。知性をもって祈りや賛美をしなければ周りの人にはわからないから。すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。

15章「最も大切なこと」
最も大切なのは、キリストが聖書の示すとおりに死んでよみがえられたこと。なぜ死者の復活がないという人がいるのか。もしないなら私たちは神に偽証する者で、私たちの信仰はむなしい。初穂のキリストに続いて、私たちは一瞬に変えられる。神は勝利を与えてくださった。

16章「主よ、来てください」
自分はこれからそちらへ行き、しばらく滞在したいと願っている。目を覚まし、堅く信仰に立ち、男らしく、強くあり、いっさいのことを愛を持って行いなさい。ともに労している人たちをねぎらい、従いなさい。主よ、来てください。主イエスの恵みがありますように。

   ★
   

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2000字で読む「ローマ人への手紙」

新約聖書の「ローマ人への手紙」を章ごとにタイトルをつけ、内容を要約したものです。元はツイッターに投稿したものなので、要約本文は各章140字以内となっています。聖書を読む際の参考になれば幸いです。

   ★

1章「ローマの人々への思い」
パウロはローマへ行くことを切望して、その地の信者に宛てて手紙を書き始める。-福音はすべての人にとって救いを得させる神の力で、それは被造物によっても明らか。しかしある人々は神を偶像に変え、不自然な情欲に溺れ、あらゆる悪に満ち、神の定めを犯してしまった。

2章「他人をさばく人」
自分たちが律法を持ち割礼を受けていることを誇り、そうでない人をさばいているユダヤ人たちがいる。しかし律法を持つことではなく、律法を行うことが真のユダヤ人である。律法を持たない異邦人も、律法を行えば自分自身が律法なのである。神はえこひいきはしない。

3章「信仰による神の恵み」
ユダヤ人は神のことばをゆだねられている。しかし律法の行いによっては罪の意識が生じる。すべての人は罪を犯したので神からの栄誉を受けることはできない。神に義と認められるのは、キリストへの信仰による神の恵みによる。信仰は律法を無にするのではなく、確立する。

4章「信仰による義」
アブラハムが義と認められたのは割礼や律法によるのではなく、約束されたことを成就する力がある神を信じる信仰による。信仰による義認は、私たちのためでもある。私たちも主イエスが私たちの罪のために死に渡され、よみがえられたことを信じる信仰により義と認められる。

5章「ひとりの人によって」
アダムひとりの罪によってすべての人に死が及んだように、イエスの一つの義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるようになった。神は私たちがまだ罪人であったときにこれを為してくださったことにより、私たちへの愛を明らかにしておられる。

6章「神のくださる賜物」
キリストのバプテスマを受けた私たちは、キリストとともに葬られ、新しい歩みを始めた。だから罪に対しては死んだものであるから、再び罪の奴隷となって死に至ってはならない。私たちは義の奴隷であり、神からキリストにある永遠のいのちという賜物を得ているのだから。

7章「自分でしたくないことを」
律法は良いものだが、罪はそれにより機会を捉え人に死をもたらす。自分は神の律法を喜び従いたいと思っているのに、自分のしたいことではなく、したくないことを行っている。ここに、自分に悪が宿っているという原理を見いだす。主イエスは自分をこの体から救い出して下さる。

8章「いのちの御霊の原理」
私たちはいのちの御霊の原理により、肉に従って死に至ることから解放されている。神は御霊により私たちを生かしてくださるので、今の苦しみは将来の栄光には比べられない。御霊は祈りをとりなす。神はすべてのことを益とする。どんなものも神の愛から私たちを引き離せない。

9章「あわれみの器に対する栄光」
イスラエルは様々なものを神から与えられているが、それは肉によるのではなく約束による。人間の努力や願いではなく神のみこころによる。行いによってはこれらを得られず、約束を信じる信仰によって与えられる。イスラエルはイエスにつまずき、かえって異邦人がこれを受け入れた。

10章「信仰による義」
人はキリストを信じる信仰により義と認められる。イエスを主と告白し信頼すること、御名を呼び求めること。その良い知らせは神から遣わされる人によって宣べ伝えられるが、イスラエルはイエスのことを知らなかったのではなく、神は様々な手段で彼らに手を差し伸べてきた。

11章「イスラエルの救い」
神はイスラエルを退けたのではない。神は彼らにも恵みによる選びを与える。それは、彼らのつまづきによって救いが異邦人に及び、イスラエルに異邦人へのねたみを起こさせ、そのあとにイスラエルが救われるためである。イスラエルは神によって選ばれ、愛されている。

12章「聖い、生きた供え物」
私たちのからだを、聖い生きた供え物として捧げることが霊的な礼拝。私たちはキリストという一つのからだの器官であり、それぞれ与えられた恵み、賜物に従って主に仕えよう。互いに尊敬し、喜ぶ者と喜び、泣く者と泣き、悪に悪で報いずにかえって善をもって打ち勝とう。

13章「主イエス・キリストを着る」
権威は神が立てたものだから、人はそれに従うべき。みつぎや税を納め、義務を果たすべき。人に借りがあってはいけないが、すべての戒めを要約している愛については別。肉の欲のために心を用いないように、光の武具を着け、主イエス・キリストを着て正しい生き方をしよう。

14章「さばき合わないように」
信仰の弱い人をさばいてはいけない。判断が異なる人もいる。それ自体で汚れているものはないが、それで他人をつまづかせる場合は悪い。人の心を痛めるならそれは愛からではない。主が死んでくださったほどの人を食べ物でつまづかせてはいけない。信仰から出ていないことは罪である。

15章「互いに受け入れなさい」
神は異邦人も神をあがめるようにしてくださったのだから、イエス・キリストにふさわしく、同じ思いを持ち心を一つにしよう。互いに受け入れよう。互いに訓戒し合おう。自分は異邦人に福音を伝えるために神から遣わされた。これからローマを経由しイスパニヤに向かいたい。

16章「キリストにあって」
パウロは、キリストにあって福音の奉仕のために彼とともに労している人々にあいさつを送る。そして分裂をもたらす人たちに警戒し、善にはさとく、悪にはうとくあれと勧める。最後に、福音の奥義をあらゆる国の人々に啓示した神に栄光があるようにと手紙を締めくくる。

   ★
   

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