アイコンのリニューアル全過程

皆さんこんにちは。ねりまんです。ブログエントリーは久々です。

Facebookのアイコンは、友人が作ってくれた私の顔画像をずっと使っています。これまで2代目画像だったのですが、どのくらい使ったのかなあ、さすがに現状と齟齬が出て来たので、リニューアルをお願いしました。

以下、メッセージ上でのやり取りを通してアイコンが出来上がっていく様子を、友人の了解を得て掲載します。これは一種の開発で、なかなか興味深いです。

(黒字:私  青字:友人)

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 ○○くん メガネかけてることが多くなったので、アイコンリニューアルしたいなあ。お願いできる?(実写真添付)

前使ったアプリはもうなくなってて、他のアプリで作ってみたんだけど、こんなのどうかなあ??
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修正ご希望どうぞ

 ・・似てない、と思う。鼻と口が違和感。

メガネを外すとこうなる
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 目を細く

うむ、ちょっと待て

まず、新しいアプリでなるべく前回のに似せて作ると、こうだが、この時点でどうなのかな?
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 うーむ、悪くはないけど眉間が狭い気がする。あともうちっと愛想が欲しいかな

だよなあ、これが結構使いにくいアプリなのよ・・・orz

こういうのは?
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 鼻が違うな

こう?
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 なんか違う(^^)

だよなあ・・・
 
 忙しくない?急がないので

いやこういうのは好きでやってるから、、、いまご飯炊いてるだけだから。こうかな?
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いいパーツがないなあ、、、

 その影みたいなのが入っちゃうの?

 メガネ合わせてみて

影の少ないのだと、これかな?
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 おお、近いかも。これでやや老けさせると?

メシを食うので、しばし待たれよ

こうかな?
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 Good ・・だが、さらに顔の輪郭がやや下すぼみになっているので、楕円に近いのはない?

そこがねえ、、、こういうのしかないのよ
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 ・・中間はないのか

ないのよ、、、おれもここが一番悩んでたのよ

 一旦、家族会議だな・・

よろしく!

     (家族会議中に)

これかな!?
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 これだ!決まり。ありがとう\(^o^)/

どういたしまして?( ´ ▽ ` )ノ

ーーー

以上、所要2時間。○○君、ありがとうございました。

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「楽」とは何か

友人がFB投稿でお題を出していたので、考えてみました。

問「何でもそうなんだけど、やるからには「楽しく」やりたい。でも「楽して」はきっと良い結果は得られない。(結果、楽しくない)「楽」と言う言葉に込められた意味は?」

ーーー

先日イチローがメジャー3000本安打を達成したとき、「明日から平穏な日々が戻る」と言っていた。ある意味「楽」になるということだろう。サッカー日本代表が初のW杯出場を決めたジョホールバルの試合後、中田英寿も「もう練習しなくていい」と言っていた。

人はそういう「楽」な状態を求める。苦労したくないのは本能だ。しかし、理性はそれが「楽」に手に入るものでないことも承知している。イチローにしても、中田にしても、それこそ血の滲むような努力があってのことだろう。南アフリカを倒したラグビー日本は、四年間努力を積み重ねた。それは決して「楽しい」毎日ではなかったかも知れない。それは「苦しい」からこそ、実ったときの嬉しさもある。このように、仕事でも何でも、「楽」には達成による解放の喜びがある。

一方、業務効率的には、「楽」とはコスパが良く、苦労せずに仕事ができること。悪く言えば「手抜き」だが、汗を滲ませながら顔をしかめてやるのは「楽」とは言わない。同じ仕事に10分かかっていたのを1分でできるようになれば、9分ぶんは「楽」になったのだ。楽器の超絶アドリブ、目を見張るジャグリング、マッサージされているときのくつろぎ。解放され、リラックスした状態、またその状態で何かをできることが「楽」なのだ。しかしその前提として、「楽」を得るためにはそれ以前に何らかの苦労なり、努力があるだろう。すなわち、「楽」は苦労や努力とセットであり、これを抜きに「楽」だけ先に味わってしまうと危うい。後で困る、何も残らない、「虚しい」ことになる。「楽な仕事はない」「楽して入ろうと思うな」は「今の『楽』をとると将来の安泰はない」という意味とも考えられる。

また、努力の結果としての「楽」も、それに留まり続けると、容易に「怠惰」に陥る。今「楽」なのはご褒美。イチローも、少し楽を味わうことで「より高い目標に向かって頑張ろうと思える」と言っていた。優勝の喜びに浸るのはその日だけ、明日からまた次に向かって歩み始める、という言葉もよく聞かれる。今の「楽」は、次の「楽」を求めてがんばるための一休み。そのくらいに思っているのが、良いのではないだろうか。

一方「楽しい」は、パフォーマンスとは関係ない、感情、気持ちの問題だ。結果が出ようが出まいが、コツコツやること自体が楽しかったりする。スポーツ観戦や趣味、また好きな仕事のように、現在進行形で感じる「楽しさ」もあるし、がむしゃらに働いた、子育てに苦労した、人生山あり谷ありだった、苦労した、でも「あの頃は楽しかった」と振り返る「楽しさ」もある。最中であれ事後であれ、ある行動を積極的、肯定的に捉えることができれば、それは「楽しい」となる。「楽しい」という感情自体は、結果と直結しなくてもよい。しかし多くの場合、楽しくやれば結果もついてくる、そして「楽」になる、次の「楽」を目指してまたがんばる、という好循環が生まれる。

このような「楽」と「楽しい」の関係を表す一文を思いついた。

「どうしたら『楽』になるかを考えるのは『楽しい』」


よいお題をいただいた。感謝なことだ。楽しかった。


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【作品】わたしはたいなり

わたしはたいなり


わたしはたいなり
そういうにもの
にもずまけ雨
にもずまけ風
ずまけにも雪にも暑さの夏
もちを丈夫なからだ
なくは欲
決してずいから
いるいつもわらってにしずか
たべと四合玄米
とみそを少しの野菜に一日
よくし見聞き、わかり
そしてずわすれ
をあらゆること
ずに入れをじぶんにかんじょう
にいて小さな小屋のかやぶき
のかげの林の松の野原
あれば子供の病気に東
行ってしてやり看病
あれば母疲れたに西
行って負いをたばのその稲
あれば人死にそうなに南
行っていいなくてもいいこわがる
あればやけんかがそしょうに北
いいとやめろからつまらない
ながしをなみだはときのひでり
あるきおろおろはのさむさなつ
よばれとでくのぼうにみんな
ずせもられほめ
ずされにもく


《解説》

本作品は、私が長年購読している無料メールマガジン「TOEICリスニング・リーディング特効薬!」(東京SIM外語研究所)から着想し、日本語の文章を英語の語順で書いたらどうなるかという語学的興味から生まれた試行作品です。

原文はもちろん宮沢賢治の「雨にもまけず」ですが、これを選んだ理由は

・世間一般によく知られている
・試行するのに長さが適当である
・著作権が切れている
・自分が好きな文章である

という条件に合致していたからで、文学的な挑戦など何らの他意はありません。当然ながら、宮沢賢治を冒涜する意図は全くありません。パロディではなく、オマージュと捉えていただければと思います。

変換ルールは下記の通りです。

・英文の基本文型SVOCとする
・字数や活用は変えず語順だけ替える
・助詞は前置詞に該当するとして名詞や形容詞の前につける
・動詞の否定形は英語に準じて否定の助動詞+動詞とする
・複数行に渡って文型を構成している場合は適宜行を入れ替える
・従って全体として文型が逆なので原文の末尾を冒頭に持ってくる

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画像提供:来夢来人

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22分で読む「ヨハネの黙示録」(【1分de聖書】 まとめ)

姉妹サイト【1分de聖書】に掲載している聖書要約をまとめたものです。
1分de聖書】 では、日替わりで1日1章、1分で読める聖書要約をフォトとともに掲載しています。

1分でわかる「ヨハネの黙示録」

著者はイエス・キリストの12使徒の一人であったヨハネです。ローマ帝国による支配の中、キリスト者たちは皇帝よりも神を礼拝したため、激しい迫害にあいます。ヨハネもキリストをあかししたために、エーゲ海にあるパトモスという島に流されます。ここでヨハネが受けた神の黙示が本書です。「黙示録」という書名の元々の意味は、イエス・キリストご自身について、またイエス・キリストが終わりのときにどのように勝利なさるかをはっきり示す、ということです。本書では、小アジアにある七つの教会への書簡の形をとりながら、この世界の終わりを象徴的に描き出し、サタンに対するキリストの完全で永遠の勝利を見ることができます。単なる出来事の予告にとどまらず、創世記に始まる神の救いの約束が成就し、完結するという、壮大なスケールの内容になっています。

参考:
実用聖書注解(いのちのことば社)
早わかり聖書ガイドブック(いのちのことば社)

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photo credit: h.koppdelaney via photopin cc

1章「アルファでありオメガである方」

万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」:ヨハネの黙示録1章8節

イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになり、また御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになったことである。この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会に送りなさい。」その声のほうを振り向くと、人の子のような方がいて、こう言われた。「恐れるな。わたしは最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。」

2章「教会への忠告1」

悔い改めて、初めの行いをしなさい。:ヨハネの黙示録2章5節

その声は言った。
ーエペソにある教会の御使いに書き送れ。「あなたがたには非難すべきことがある。あなたは、初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたのかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。」
ーまた、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。「わたしは、あなたの苦しみと貧しさを知っている。また、サタンの会衆である人たちからののしられていることも知っている。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたいいのちの冠を与えよう。」
ーまた、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。「あなたのうちにバラムの教えや、ニコライ派の教えを奉じている人々がいる。だから、悔い改めなさい。」
ーまた、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。「あなたはイゼベルという女をなすがままにさせている。その女は不品行を悔い改めることをしない。見よ、わたしこの女を病の床に投げ込もう。勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守るものには、諸国の民を支配する権威を与えよう。」

3章「教会への忠告2」

見よ。わたしは戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。:ヨハネの黙示録3章20節

ーまた、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。「あなたは生きているとされているが、実は死んでいる。目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出し、それを堅く守り、また悔い改めなさい。」
ーまた、フィラデルフィアにある教会の御使いに書き送れ。「あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。わたしはすぐに来る。あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。」
ーまた、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。「あなたは冷たくもなく、熱くもない。あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。熱心になって、悔い改めなさい。見よ。わたしは戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

4章「御座の神への礼拝」

主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。:ヨハネの黙示録4章11節

天にある開いた門で、初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こることをあなたに示そう。」すると見よ、天に一つの御座があり、その御座に着いている方があった。御座の回りに24の座があり、白い衣を着て、金の冠をかぶった24人の長老たちがすわっていた。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。彼らは、昼も夜も、絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」24人の長老は、御座に着いている方の御前でひれ伏して、言った。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」

5章「巻き物と小羊」

ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。:ヨハネの黙示録5章12節

私は、御座にすわっておられる方の右の手に、七つの封印で閉じられた巻き物があるのを見た。ひとりの御使いが、大声で「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者は誰か。」とふれていた 。しかしどこにも巻き物を開くことができる者がいなかったので、私は激しく泣いていた。すると長老のひとりが私に「見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、巻き物を開くことができます。」と言った。私は、御座と長老たちとの間に、ほふられた小羊が立っているのを見た。小羊が、御座にすわる方の右の手から、巻き物を受け取ったとき、私は万の幾万倍、千の幾千倍の御使いたちの声を聞いた。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」また、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる生き物が、御座にすわる方と、小羊とをほめたたえた。

6章「封印を解く」

御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。:ヨハネの黙示録6章17節

私は見た。
小羊が七つの封印の一つを解くと、白い馬が現れ、それに乗っている者は弓を持ち、冠を与えられ、勝利を得るために出て行った。
小羊が第二の封印を解くと、赤い馬が現れ、これに乗っている者は、剣を与えられ、地上から平和を奪い取ることが許された。
小羊が第三の封印を解くと、黒い馬が現れ、これに乗っている者は量りを手に持っていた。
小羊が第四の封印を解くと、青ざめた馬が現れ、これに死という名の者が乗っており、地上の四分の一を殺す権威が与えられた。
小羊が第五の封印を解くと、神のために殉教した人々が、復讐を求めて大声で叫んでいた。
小羊が第六の封印を解くと、大きな地震が起こり、太陽は暗く、月が血のようになり、天の星が地上に落ちた。
地上の王、高官たち、金持ち、あらゆる奴隷と自由人が言った。「御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」

7章「額の印」

神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。:ヨハネの黙示録7章17節

私は見た。ひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来て、地をも海をもそこなう権威を与えられた御使いたちに言った。「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」私が、印を押された人の数を聞くと、イスラエルの子孫の部族14万4千人であった。その後、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。長老のひとりが言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださいます。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

8章「第七の封印とラッパ」

わざわいが来る。地に住む人々に。あと三人の御使いがラッパを吹き鳴らそうとしている。:ヨハネの黙示録8章13節

小羊が第七の封印を解いた時、天に半時間ばかり静けさがあった。それから私は、神の御前に立つ七人の御使いにラッパが与えられたのを見た。
第一の御使いがラッパを吹き鳴らすと、血の混じった雹と火とが現われ、地上の三分の一が焼けた。
第二の御使いがラッパを吹き鳴らすと、燃える大きな山のようなものが海に投げ込まれ、海の中にいた三分の一が死んだ。
第三の御使いがラッパを吹き鳴らすと、燃える大きな星が天から落ちてきて、川の水の三分の一が苦よもぎのようになったので、その水のために多くの人が死んだ。
第四の御使いがラッパを吹き鳴らすと、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一が打たれたので、三分の一は暗くなった。
私は、一匹のわしが中天を飛びながら、大声で言うのを聞いた。「わざわいが来る。わざわいが、わざわいが来る。地に住む人々に。あと三人の御使いがラッパを吹き鳴らそうとしている。」

9章「第五と第六のラッパ」

騎兵の軍勢の数は二億であった。私はその数を聞いた。:ヨハネの黙示録9章16節

第五の御使いがラッパを吹き鳴らすと、一つの星が地上に落ち、底知れぬ大きな穴が開かれた。すると煙が立ち上り、その煙の中からいなごが出てきた。彼らは、額に印の押されていない人間にだけ害を加えるよう言い渡された。彼らは、さそりのような尾と針を持っており、尾には、五ヶ月間人間に害を加える力があった。その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死が彼らから逃げて行くのである。
第六の御使いがラッパを吹き鳴らすと、定められたときのために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放された。騎兵の軍勢の数は二億であった。私はその数を聞いた。彼らは、三つの災害で人類の三分の一を殺した。これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪を行い、見ることも聞くこともできない偶像を拝み続けた。

10章「巻き物」

もはや時が延ばされることはない。:ヨハネ10章6節

また私は、もうひとりの強い御使いが、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭上には虹があって、その顔は太陽のよう、その足は火の柱のようで、その手には開かれた小さな巻き物を持っていた。御使いは、永遠の創造主をさして、誓った。「もはや時が延ばされることはない。第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、預言者たちに告げられたとおりに成就する。」それから、前に私が天から聞いた声が、また私に話しかけて言った。「さあ行って、御使いの手にある、開かれた巻き物を受け取りなさい。」それで、私は御使いのところに行って、「その小さな巻き物をください」と言った。すると彼は、それを取って食べるように言った。私が食べると、それは口には蜜のように甘かったが、腹に入ると苦くなった。そのとき、彼らは私に言った。「あなたは、もう一度、もろもろの民族、国民、国語、王たちについて預言しなければならない。」

11章「ふたりの証人と第七のラッパ」

この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。:ヨハネの黙示録11章15節

ふたりの神の証人が現れ、1260日の間、預言をする。この人たちは、思うままに何度でもあらゆる災害をもって地を打つ力を持っている。彼らがあかしを終えると、底知れぬ所から上って来た獣が、彼らを殺す。地に住む人々は、自分たちを苦しめたふたりの死を喜び祝うが、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らに入り、彼らが立ち上がったので、人々は非常な恐怖に襲われた。そのとき、大地震が起こって、都の十分の一が倒れ七千人が死んだ。
第七の御使いがラッパを吹き鳴らすと、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」それから、24人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、言った。「神である主。あなたの御怒りの日が来ました。聖徒たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」

12章「天の戦い」

今や、私たちの神の救いの力と国と、また神のキリストの権威が現れた。:ヨハネの黙示録12章10節

太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には12の星の冠をかぶった女が、産みの苦しみのために叫び声をあげた。すると、七つの頭と十本の角を持ち、頭には七つの冠をかぶった大きな赤い竜が現れ、女の産む子を食い尽くそうと、女の前に立った。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神の御座に引き上げられ、女は荒野に逃げた。さて、天に戦いが起こって、御使いたちと竜たちとが戦ったが、竜は勝つことができなかった。こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は地上に投げ落とされ、天で大きな声がこう言った。「今や、私たちの神の救いの力と国と、また神のキリストの権威が現れた。」地上に投げ落とされた竜は、男の子を産んだ女を追いかけ、その口から水を吐き出して彼女を押し流そうとしたが、地が女を助け、水を飲み干した。すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。

13章「獣」

思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。それは人間を指しているからである。:ヨハネの黙示録13章18節

十本の角と七つの頭のある一匹の獣が、海から上ってきた。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口が与えられ、42ヶ月間活動する権威が与えられた。そこで、彼はその口を開いて、神の御名と、その幕屋、すなわち天に住むものたちをののしった。地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書き記されていない者はみな、彼を拝むようになる。また、もう一匹の獣が地から上って来て、最初の獣の像を作るように人々に命じ、その像を拝まない者をみな殺させた。また、すべての人々にその右の手かその額かに、獣の名、またはその名の数字の刻印を受けさせ、それを持っている者以外は、だれも、買うことも売ることもできないようにした。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。それは人間を指しているからである。

14章「刈り取り」

雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。:ヨハネの黙示録14章16節

見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また、14万4千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあった。天からの声がして、御座の前で、新しい歌を歌った。ひとりの御使いが、永遠の福音を携えて、中天を飛びながら、大声で神のさばきの時が来たことを告げた。第二の御使いが、続いてやってきて、神の御怒りを引き起こす大バビロンが倒れたことを告げた。第三の御使いが、続いてやってきて、獣とその像を拝み、その刻印を受ける者は、神の怒りを受けて永遠に苦しむと告げた。見よ。人の子のような方が、手に鋭いかまを持って、雲に乗っておられた。雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。もうひとりの御使いも、手にかまを持って聖所から出てきて、地のぶどうを刈り入れ、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。

15章「七人の御使い」

ただあなただけが、聖なる方です。:ヨハネの黙示録15章4節

また私は、天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。神の激しい怒りはここに窮まるのである。獣に打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、ガラスの海のほとりに立って、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌った。「主よ。だれかあなたを恐れず、御名をほめたたえない者があるでしょうか。ただあなただけが、聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。」その後、天にある、あかしの幕屋の聖所が開いて、七つの災害を携えた七人の御使いが出て来た。四つの生き物の一つが、神の御怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使いに渡した。

16章「七つの災害」

行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ。:ヨハネの黙示録16章1節

大きな声が聖所から、七人の御使いに「行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ。」と言った。
第一の御使いが、鉢を地に向けてぶちまけると、獣の刻印を受けている人々に、ひどい悪性のはれものができた。
第二の御使いが鉢を海にぶちまけると、海は血のようになったので、海の中のものはみな死んだ。
第三の御使いが川と水の源にぶちまけると、それらは血となった。
第四の御使いが鉢を太陽に向けてぶちまけると、太陽が激しい熱となり人々が焼かれた。
第五の御使いが鉢を獣の座にぶちまけると、獣の国は暗くなった。
第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけると、水はかれてしまった。また、汚れた霊が出て来て、全世界の王たちをハルマゲドンと呼ばれる所に集めた。
第七の御使いが鉢を空中にぶちまけると、大きな声が御座を出て、「事は成就した」と言った。そしてかつてないほど大きな、強い地震があり、大きな雹が降って、都が倒れた。

17章「大淫婦」

あなたが見たあの女は、地上の王たちを支配する大きな都のことです。:ヨハネの黙示録17章18節

御使いが私に、「大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう」と言った。私は、ひとりの女が、神をけがす名で満ちている緋色の獣に乗っているのを見た。獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。女の額には、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」と書かれていた。
私はこの女が、聖徒たちの血とイエス・キリストの証人たちの血に酔っているのを見て、非常に驚いた。御使いは言った。「あなたが見た十本の角は十人の王たちです。この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。」また言った。「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。あなたが見たあの女は、地上の王たちを支配する大きな都のことです。」

18章「倒れた都」

この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。:ヨハネの黙示録18章20節

もうひとりの御使いが、大きな権威を帯びて、天から下って来て、言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。それは、すべての国々の民が、彼女の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女と不品行を行ない、地上の商人たちは、彼女の極度の好色によって富を得たからである。」それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離れなさい。彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神は彼女の不正を覚えておられるからです。1日のうちに、さまざまな災害が彼女を襲い、彼女は火で焼き尽くされます。地上の王たちは彼女を襲う災いのことで嘆き悲しみ、地上の商人たちは泣き悲しみます。富が一瞬のうちに荒れすたれてしまうからです。おお、天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。」

19章「獣の滅び」

私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。:ヨハネの黙示録19章6節

この後、私は天に大群衆の大きい声のようなものが、神をほめたたえるのを聞いた。すると、24人の長老と四つの生き物はひれ伏し、御座についておられる神を拝んだ。私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、「私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。」と言うのを聞いた。見よ、白い馬がいて、それに乗った方は、血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。天にある軍勢は真っ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が、馬に乗ったその方と戦いを交えるのを見た。そして獣も、また獣の像を拝むように人々を惑わしたあのにせ預言者も、捕らえられた。このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。

20章「第一の復活、第二の死」

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。:ヨハネの黙示録20章15節

悪魔でありサタンである竜が、縛られ、千年の間、封印された。イエス・キリストのあかしと神のことばとのゆえに死んだ人たち、そして獣の刻印を押されなかった人たちは、生き返って、キリストとともに千年の間、王となった。これが第一の復活で、これにあずかる者は幸いな者、聖なる者である。しかし千年の終わりに、サタンは解き放たれ、戦いのために諸国の民を招集した。彼らは聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだが、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。そして悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれた。また死もハデスもその中にいる死者を出し、おのおの自分の行ないに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

21章「新しい天と地」

私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。:ヨハネの黙示録20章1節

私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。御座に着いておられる方が言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。」聖なる都エルサレムには、十二の門があって、十二部族の名が書いてあった。この都には神殿がなかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。都の門は閉じられることがない。そこには夜がないからである。こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。

22章「来てください」

「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。:ヨハネの黙示録21章20節

もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神のみ顔を仰ぎ見る。もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。御使いは私に、「これらのことばは、信ずべきものであり、真実なのです。」と言った。私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。

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21分で読む公同書簡(【1分de聖書】 まとめ)

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■ヤコブの手紙

1分でわかる「ヤコブの手紙」

本書の著者ヤコブは、諸説ありますが、伝統的にはイエス・キリストの兄弟のヤコブとされています。宛先は「国外に散っている12の部族」とあり、ステパノの殉教の後に起こったエルサレム教会への迫害の結果、各地に散らされたユダヤ人キリスト者と考えられています。本書の特色は、他の書簡と比べてイエス・キリストへの直接の言及がほとんどなく、信仰生活の倫理的、実践的な教えが強調されていることです。これは、著者の関心が、すでに信じていることを生活の中で実践させることにあるからです。しかし、本書ほどイエスの教えの影響が大きい書簡は他になく、直接の引用ではなくとも、イエスの教えがほとんどの箇所の下敷きになっていると言えます。

参考:実用聖書注解(いのちのことば社)

1章「実行する人に」

みことばを実行する人になりなさい。:ヤコブの手紙1章22節

神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを完全に救うことができます。また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。

2章「信仰と行い」

信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。:ヤコブの手紙2章17節

あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、金持ちを重んじ、貧しい人を軽んじるような、えこひいきしてはいけません。人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。律法全体を守っても、一つの点でつまづくなら、その人はすべてを犯したのと同じです。自分には信仰があると言いながら、その人に行いが伴わないなら、何の役に立ちましょう。信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。ああ、愚かな人たちよ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。行いのない信仰は、死んでいるのです。

3章「ことばの失敗」

もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人はからだ全体をりっぱに制御できる完全な人です。:ヤコブの手紙3章2節

私たちは多くの点で失敗しますが、特にことばで失敗します。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人はからだ全体をりっぱに制御できる完全な人です。舌は小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。舌はからだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって作られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。

4章「高ぶる者」

主のみこころならば、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。:ヤコブの手紙4章15節

何が原因であなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。神は、豊かな恵みを与えることについて、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」あなたがたは、あすのことはわからない、霧にすぎないものです。ですから、あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶることなく、こう言うべきです。「主のみこころならば、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。

5章「耐え忍びなさい」

主が来られる時まで耐え忍びなさい。ヤコブの手紙5章7節

兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。あなたがたも、心を強くしなさい。主が来られるのが近いからです。あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。病気の人がいますか。その人は主の御名によって祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

1分でわかる「公同書簡」

前術のヤコブの手紙、そして以下のペテロの二つの手紙、ヨハネの三つの手紙、そしてユダの手紙の七書簡は公同書簡と呼ばれ、パウロ以外の著者による、キリスト者向けの手紙となっています。
ペテロの手紙第一は、迫害の苦しみの中にあるキリスト者に、イエス・キリストの福音の恵みと希望を再認識させ、世にあってどう信仰に固く立って生きるのかを諭しています。
ペテロの手紙第二は、ペテロの遺言的書簡で、教会を脅かしつつあった偽教師を告発・弾劾し、イエス・キリストの真理に固く立って、敬虔に生活することを説いています。
ヨハネの三つの手紙は共通して、諸教会に強い影響を及ぼしつつあった異端の教えを、イエスが人としてこの世に来られたことを否定する反キリストと糾弾し、その攻撃から教会を守ろうとするものです。
ユダ(イエスを裏切ったユダではない)の手紙は、教会に忍び込んだ偽信仰者に対処する必要を覚え、簡潔な中にも、読者の自覚を促し、偽信仰者がいかなるものかを明確にして警告を発しています。

参考:実用聖書注解(いのちのことば社)

■ペテロの手紙第一

1章「キリストの現れ」

あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。:ペテロの手紙第一1章23節

イエス・キリストの使徒ペテロから、イエス・キリストに従うように選ばれた人々へ。あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。この救いについては、預言者たちが熱心に、細かく調べ、それらの人々によって、あなたがたに告げ知らせられたのです。キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。あなたがたは、このキリストによって神を信じる人々です。あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。

2章「キリストの打ち傷」

キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです。:ペテロの手紙第一2章24節

主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。聖書に「見よ。わたしはシオンに選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」とあるからです。あなたがたは、自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。しもべたちよ。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。人がもし不当な苦しみを受けながらも、耐え忍ぶなら、それは神に喜ばれることです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、模範を示されました。キリストは、ののしられても、ののしり返さず、正しくさばかれる方にお任せになり、自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです。

3章「身代わりのキリスト」

キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりになったのです。:ペテロの手紙第一3章18節

妻たちよ。自分の夫に従いなさい。夫たちよ。妻を、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。悪を持って悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりになったのです。それは肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。

4章「キリストの苦しみ」

神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。:ペテロの手紙第一4章19節

このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。あなたがたの間に起こる試練を、思いがけないことのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。

5章「神にゆだねなさい」

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたを心配してくださるからです。:ペテロの手紙第一5章7節

あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたを心配してくださるからです。堅く信仰に立って、悪魔に立ち向かいなさい。あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。

■ペテロの手紙第二

1章「召されたことと選ばれたこと」

ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。:ペテロの手紙第二1章10節

イエス・キリストのしもべであり使徒であるペテロから、私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ。神と私たちの主イエスを知ることによって、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるということです。ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。あなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです。私が去るときが近づいているので、あなたがたがいつでもこれらのことを思い起こせるよう、私は務めたいのです。私たちは、キリストの威光の目撃者だからです。

2章「にせ教師」

あなたがたの中にも、にせ教師が現れるようになります。:ペテロの手紙第二2章1節

しかし、イスラエルの中ににせ預言者も出たのと同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現れるようになります。彼らは滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、主を否定するようなことさえしています。このような者たちに対するさばきは、昔から怠りなく行われており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません。ノアたちが洪水から守られたように、ロトがソドムとゴモラから救い出されたように、主は敬虔な者たちを誘惑から救い出します。しかし汚れた情欲を燃やし、肉に従って歩み、権威を侮る彼らは、大胆不敵な、尊大な者たちで、栄誉ある人たちをそしって恐れるところがありません。彼らは理性のない動物と同じです。その目は淫行に満ちており、罪に関しては飽くことを知らず、その心は欲に目がありません。
彼らはのろいの子です。

3章「主の忍耐」

私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。:ペテロの手紙第二3章15節

愛する人たち。私がこの第二の手紙をあなたがたに書き送るのは、これらの手紙により、記憶を呼びさまさせて、あなたがたの純真な心を奮い立たせるためなのです。次のことを知っておきなさい。あざける者どもは、「キリストの来臨の約束はどこにあるのか」と言います。しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びの日まで、保たれているのです。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれないようにしなさい。

■ヨハネの手紙第一

1章「神は光」

もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。:ヨハネの手紙第一1章9節

初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、あなたがたに伝えるのは、あなたがたも御父および御子イエス・キリストとの交わりを持つようになるためです。私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。神は光であって、神のうちには暗いところが少しもありません。もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのであり、神のみことばは私たちのうちにありません。

2章「キリストのうちにとどまる」

世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。:ヨハネの手紙第一2章17節

私の子供たち。イエス・キリストは、私たちの罪のため、そして全世界のための、なだめの供え物なのです。神を知っていると言いながら、その命令を守らないものは偽り者です。神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。これは、新しい命令ではなく、あなたがたが初めから持っていた命令です。世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。あなたがたが、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせるなら、御子および御父のうちにとどまるのです。

3章「愛し合うこと」

神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが愛し合うことです。:ヨハネの手紙第一3章23節

私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです。キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって、私たちに愛がわかったのです。ですから、私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが愛し合うことです。

4章「神は愛」

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。:ヨハネの手紙第一4章8節

愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。

5章「御子といのち」

御子を持つものはいのちを持っており、御子を持たない者はいのちを持っていません。:ヨハネの手紙第一5章12節

イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたものです。世に勝つものとは誰でしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つものはいのちを持っており、御子を持たない者はいのちを持っていません。神によって生まれたものはだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。私たちは真実な方に、すなわち神の御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。

■ヨハネの手紙第二

愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。:ヨハネの手紙第二6節

長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ。あなたがたにお願いしたいことがあります。それは、私たちが互いに愛し合うということです。愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。なぜお願いするかと言えば、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者、すなわち反キリストが大ぜい世に出て行ったからです。よく気をつけて、私たちの労苦の実をだいなしにすることなく、豊かな報いを受けるようになりなさい。行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。

■ヨハネの手紙第三

あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。:ヨハネの手紙第三2節

長老から、愛するガイオへ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。あなたが、旅をしている兄弟たちのために行っているいろいろなことは、真実な行ないです。このような人々をもてなすことで、私たちは真理のための彼らの同労者となれるのです。悪を見ならわないで、善を見ならいなさい。善を行なう者は神から出た者であり、悪を行なう者は神を見たことのない者です。そちらの友人たちひとりひとりによろしく言ってください。

■ユダの手紙

永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。:ユダの手紙21節

イエス・キリストのしもべであり、ヤコブの兄弟であるユダから、イエス・キリストのために守られている、召された方々へ。私は、聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。というのは、ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。彼らは、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。彼らは夢見る者であり、肉体を汚し、権威ある者を軽んじ、栄えある者をそしっています。愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ちなさい。永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。

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13分で読む「ヘブル人への手紙」(【1分de聖書】 まとめ)

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1分de聖書】 では、日替わりで1日1章、1分で読める聖書要約をフォトとともに掲載しています。

1分でわかる「ヘブル人への手紙」

本書は、著者も宛先も諸説あり、文体も書簡というより、むしろ説教に近いものですが、結びが書簡の形式であること、旧約聖書の祭儀への詳細な言及がなされ、それについての読者の知識が前提とされていることから、歴史的にユダヤ人(ヘブル人)キリスト者宛の書簡と見なされてきました。イエスの十字架刑に対するつまづき、迫害の恐怖、イエスの再臨が来ないことへの遅延感など、信仰的失望や背教の危険性に直面していたヘレニズム世界のキリスト者に、キリストの贖いがただ一度で、永遠に成し遂げられたことを、旧約聖書との関連で論証しています。そして終末的完成の希望とさばきの警告とを提示し、それによって彼らを励まし、慰めるために執筆されています。神学的には、キリスト論、救済論、終末論が展開されています。

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1章「御子の地位」

御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。:ヘブル人への手紙1章3節

神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって私たちに語られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「あなたはわたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」「神の御使いはみな、彼を拝め。」一方、御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるために遣わされたのです。

2章「御子の苦しみ」

主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。:ヘブル人への手紙2章18節

私たちは聞いたことを、しっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、どうして処罰を逃れることができるでしょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとして私たちに示し、そのうえ神も、力あるわざと聖霊の賜物によってあかしされました。神が、この救いの創始者であるイエスを、多くの苦しみを通して全うされたのは、万物の存在の目的であり、また原因である方として、ふさわしいことだったのです。これはその死によって、悪魔という死の力を持つ者を滅ぼし、死の恐怖の奴隷となっていた人々を解放するためでした。主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。

3章「かたくなになるな」

「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。:ヘブル人への手紙3章13節

こういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。モーセはしもべとして神の家に忠実でしたが、イエス・キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家であり、キリストにあずかる者となるのです。「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。聞いていながら、御怒りを引き起こしたのはだれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た人々の全員ではありませんか。わたしの安息にはいらせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。

4章「落後することのないように」

ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。:ヘブル人への手紙4章11節

こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っているのですから、万が一にもこれにはいれないことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、信仰によって結び付けられなかったので、彼らの益にはなりませんでした。ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、すべてがさらけ出されるのです。私たちはこの神に対して弁明をするのです。

5章「堅い食物」

あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。:ヘブル人への手紙5章12節

さて、大祭司は、罪のためのいけにえをささげるために人々の中から選ばれます。だれでも、この名誉は自分で得るのではなく、アロンのように神に召されて受けるのです。同様に、キリストも大祭司となる栄誉を自分で得られたのではなく、彼に「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ」と言われた方が、それをお与えになったのです。キリストは、御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える大祭司となったのです。あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、堅い食物ではなく、乳を必要とする幼子のようになっています。堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。

6章「成熟を目指して」

私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。:ヘブル人への手紙6章1節

ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。回心、信仰、きよめの洗い、儀式、復活、さばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。しかし、愛する人たち。あなたがたについては、もっと良いことを確信しています。それは救いにつながることです。神は約束の相続者たちに、救いのご計画の変わらないことをはっきり示そうと思い、ご自身への誓いをもってそれを保証されたのです。それは、前に置かれている望みを捉えるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは神殿の幕の内側に入るのです。イエスは私たちの先駆けとしてそこに入り、大祭司となられました。

7章「永遠の祭司」

キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。:ヘブル人への手紙7章24節

イエス・キリストは、通常の祭司職のような、肉についての戒めである律法にはよらないで、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。人間の場合には、死ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大勢の者が祭司となりました。しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。

8章「新しい契約」

神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。:ヘブル人への手紙8章13節

以上述べたことの要点はこうです。私たちの大祭司であるイエス・キリストは、人間が設けたのではなく、主が設けられた真実の幕屋である聖所で仕えておられる方です。すべて、大祭司は、ささげ物といけにえとをささげるために立てられるのですから、キリストも何かささげる物を持っていなければなりません。地上の人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのですが、今、キリストは、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者として、さらにすぐれた務めを得られました。すなわち神は、初めの律法の契約が欠けのあるものととして、こう言われたのです。「わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る」神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。

9章「キリストの役割」

キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。:ヘブル人への手紙9章26節

初めの契約にも礼拝の規定と地上の聖所とがありました。また至聖所と呼ばれる第二の幕屋があり、そこには、大祭司だけが年に一度だけはいり、罪のためにささげ物をします。この幕屋は比喩であり、それに従って、ささげ物といけにえとがささげられますが、それらは礼拝する者の良心を完全にすることはできません。しかしキリストは、この造られた物とは違った、さらに偉大で完全な幕屋を通り、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。

10章「希望と忍耐」

約束された方は真実ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。:ヘブル人への手紙10章23節

律法によるいけにえは、年ごとにささげられますが、これは人々を完全にすることができず、かえって罪が年ごとに思い出されるのです。ですから、キリストがこの世界に来たのです。イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされるのです。約束された方は真実ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。

11章「信仰とは」

信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。:ヘブル人への手紙11章1節

信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。昔の人々はこの信仰によって賞賛されました。これらの人々はみな、約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らは天の故郷にあこがれていたのです。神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。

12章「揺り動かされない御国」

私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。:ヘブル人への手紙12章28節

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。あなたがたは、罪人たちの反抗を忍ばれたこの方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。

13章「永遠のキリスト」

イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。:ヘブル人への手紙13章8節

私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを思い出して、その信仰にならいなさい。イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都をもとめているのです。ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。永遠の契約の血による羊の大牧者である平和の神が、イエス・キリストにより、あなたがたを完全な者としてくださいますように。キリストに栄光が世々限りなくありますように。

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42分で読むパウロ書簡(ガラテヤ~ピレモン)(【1分de聖書】まとめ)

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■ガラテヤ人への手紙

1分でわかる「ガラテヤ人への手紙」

パウロがガラテヤの諸教会に宛てた手紙です。ガラテヤの正確な場所については解釈が分かれていますが、現在のトルコにあった町です。ガラテヤの人々とはユダヤ人ではない、いわゆる異邦人でした。ガラテヤの教会はパウロの伝道によって生み出されましたが、その後「異邦人が救われるためにはユダヤ人のように割礼を受けなければならない」と主張するユダヤ主義者たちによって荒らされていました。彼らはまた、エルサレム教会を引き合いに出して、パウロの使徒としての権威を貶めようとしました。そこでパウロはこの手紙において、自分とエルサレムは共通であること、割礼の有無が重要なのではないこと、律法は信仰によってこそ完成することを明確に弁証しました。ガラテヤの人々が、福音を曲解することなく、神の恵みに応答することを願って、パウロは本書を書いたのです。

参考:
新聖書注解 新約2(いのちのことば社)
実用聖書注解(いのちのことば社)

1章「偽の福音」

ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。:ガラテヤ人への手紙1章7節

キリストと神によって使徒となったパウロから、ガラテヤの諸教会へ。私はあなたがたが、キリストの恵みをもって召してくださった神をそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移っていくのに驚いています。ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではなく、あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。しかし、誰であろうと、もしあなたがたの受けた福音に反することを宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではなく、ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。私は以前、神の教会を激しく迫害し、これを滅ぼそうとする者でしたが、神は私を、異邦人の間に御子を宣べ伝える者としてくださいました、私があなたがたに書いていることには、神の御前で申しますが、偽りはありません。ユダヤの諸教会は、以前彼らを迫害していた私が、今はその信仰を宣べ伝えていると聞いて、神をあがめていたのです。

2章「信仰による義」

人は律法を行うことによっては義と認められず、ただイエス・キリストを信じる信仰によって義と認められることを知ったからこそ、私たちもイエスを信じたのです。:ガラテヤ人への手紙2章16節

私は異邦人の間で福音を宣べ伝えていましたが、私が神に示されてエルサレムに上ったとき、おもだった人たちは、私に何もつけ加えることはしませんでした。そして、ペテロがユダヤ人への福音をゆだねられているように、私が異邦人への福音をゆだねられていることを理解してくれました。しかしその後ペテロに非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。ペテロが割礼派のユダヤ人を恐れて、異邦人から離れていったからです。しかし、異邦人にユダヤ人のような律法による生活を強いるのは間違っています。人は律法を行うことによっては義と認められず、ただイエス・キリストを信じる信仰によって義と認められることを知ったからこそ、私たちもイエスを信じたのです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。

3章「律法の役割」

あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。:ガラテヤ人への手紙3章28節

ああ愚かなガラテヤ人たち、十字架につけられたイエス・キリストがあなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。あなたがたが聖霊を受けたのは、律法を行ったからですか、それとも信仰をもって聞いたからですか。アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされたように、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。律法をすべて守ることのできる人は誰もいません。律法の役割は、私たちに罪を示し、キリストに対する信仰に導くための養育係でした。信仰が現れた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による神の国の相続人なのです。

4章「子と奴隷」

ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、相続人です。:ガラテヤ人への手紙4章7節

ところが、相続人が子供のうちは、奴隷と同じで、父の定めた日までは後見人や管理者の下にあります。私たちもそれと同じで、以前はこの世の幼稚な教えの奴隷でしたが、時が来たので、神は御子を遣わし、この御子の御霊を私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、相続人です。それなのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再びその奴隷になろうとするのですか。あなたがたのあの喜びは、今どこにあるのですか。あの人々は、あなたがたの目を自分たちに向けようとして、あなたがたを福音の恵みから締め出そうとしているのです。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再び産みの苦しみをしています。あなたがたのことをどうしたらよいかと困っているのです。

5章「肉の行いと御霊の実」

御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。:ガラテヤ人への手紙5章22節

もしあなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがたにとって何の益もないことになります。律法によって義と認められようとすることは、キリストから離れることだからです。私たちは、信仰により、御霊によって義をいただく望みを熱心に抱く者です。キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。御霊によって歩みなさい。肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。肉の行いは、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興の類です。しかし御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて進もうではありませんか。

6章「誇りは十字架のみ」

私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。:ガラテヤ人への手紙6章14節

互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。あなたがたに割礼を強制する人たちは、外見を良くしたい人たちであり、あなたがたの肉を誇りたいのです。しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。割礼を受けいるかいないかは、大事なことではありません。大事なのは、新しい創造です。どうか、この基準に従って歩む人々に、平安とあわれみがありますように。

■エペソ人への手紙

1分でわかる「エペソ人への手紙」

パウロがローマで軟禁されている間に書いたと考えられている手紙です。宛先のエペソは現在のトルコにある、ギリシャ人の都市でしたが、本書はこの教会のみに宛てたというよりは、諸教会で回覧する目的で書かれたと考えられています。コロサイの教会に発生した異端の問題について「コロサイ人への手紙」を書いたパウロが、周辺の諸教会に同様の手紙を送る必要を覚えて本書を書くに至ったようです。本書では、キリストこそ万物の中心であり、あらゆる国民がキリストにあって一つに集められるという、キリストにおける統一という神のご計画が示されています。特に、ユダヤ人教会と異邦人教会の統一について触れられており、両者がキリストにあって一つであると強調されています。また、教会に対する神の計画についての神学と、実際的な勧めについて述べられています。

参考:実用聖書注解(いのちのことば社)

1章「あらかじめ定められて」

神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。:エペソ人への手紙1章5節

使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。この方にあって私たちは、罪の赦しを受けていますが、これは神の豊かな恵みによることです。この方にあって私たちは御国を受け継ぐものとなりました。私たちがあらかじめこのように定められていたのは、前からキリストにおいて望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。あなたがたの心の目が開かれて、あなたがた聖徒が受け継ぐものがどのように栄光に富んだものかを知ることができますように。

2章「ただ神の恵みにより」

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。:エペソ人への手紙2章8節

あなたがたは自分の罪の中に死んでいた者でしたが、あわれみ豊かな神は、その愛のゆえに、キリストとともによみがえらせてくださったのです。あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身の行いによるのではなく、神からの賜物です。私たちは神の作品であって、あらかじめ備えられた良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。あなたがたは、以前は肉においては無割礼の異邦人であり、イスラエルから除外された者でしたが、今ではキリストの血が隔ての壁を打ち壊し、イスラエルと異邦人とは一つとされたのです。わたしたちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたはもはや他国人ではなく、今は聖徒たちと同じ神の家族なのです。

3章「パウロの務め」

キリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。:エペソ人への手紙3章17節

こういうわけで、私パウロが異邦人であるあなたがたのためにいただいた務めについてですが、私は、神からの啓示によってこの奥義を知らされました。その奥義とは、福音により、異邦人もキリスト・イエスにあって、ユダヤ人とともに共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。私は、神の力の働きにより、この福音に仕える者とされました。すべての聖徒のうちで一番小さな私にこの務めの恵みが与えられたのは、私がキリストを異邦人に宣べ伝え、神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためほかなりません。どうか父なる神が、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。そしてあなたがたが、すべての聖徒とともに、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解できますように。

4章「一致を保ちなさい」

平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。:エペソ人への手紙4章3節

あなたがたは主に召されたのですから、召しにふさわしく歩みなさい。平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。すべてのものを貫く、すべてのものの父なる神は一つです。聖徒たちは、信仰と知識とにおいて一致に達し、またそれぞれがキリストのからだの部分として、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。キリストの教えとは、古い人を脱ぎ捨て、心の霊において新しくされ、キリストの真理に基づいて造り出された新しい人を身につけることでした。ですから、あなたがたは偽りを捨て、隣人に対して真実を語りなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。

5章「光の子どもらしく」

光の子どもらしく歩みなさい。:エペソ人への手紙5章8節

キリストが私たちを愛して、ご自身を神へささげてくださったのですから、あなたがたも愛のうちに歩みなさい。あなたがたは以前は暗やみでしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。そのために、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。妻たちよ。あなたがたは主に従うように、自分の夫に従いなさい。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、自分の妻を愛しなさい。「それゆえ、人はその父と母を離れ、ふたりは一心同体となる。」というのは偉大な奥義であり、キリストと教会をさすのです。

6章「父たちよ」

父たちよ。子どもを怒らせてはなりません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。:エペソ人への手紙6章4節

子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは、「そうしたらあなたは幸せになり、地上で長生きする」という約束を伴った戒めです。父たちよ。子どもを怒らせてはなりません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、真心から地上の主人に従いなさい。主人たちよ。あなたがたも奴隷に対して、おどすことをしないで、同じように振る舞いなさい。終わりに言います。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるため、神のすべての武具を身に着けなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。私たちの主イエス・キリストを愛する人々の上に、恵みがありますように。

■ピリピ人への手紙

1分でわかる「ピリピ人への手紙」

ピリピは現在のギリシャのフィリッポイの近くにあった古代都市です。この手紙は、パウロとテモテの連名で、パウロが創設したピリピの教会に宛てられています。この手紙を書いたときパウロは、福音伝道のためにローマで獄につながれており、裁判の判決を待っている状況でした。そのような中で、ピリピの教会はパウロを物心両面で支援しており、エパフロデトという信者に贈り物を託してパウロに遣わしました。しかしエパフロデトが病気になってしまい、それがピリピ教会に伝わったので、彼が治った後、ピリピ教会に送り返す際にこの手紙を持たせました。内容は、パウロの近況報告と、ピリピ教会への励まし、間違った教えへの注意などです。本書中には何度も「喜び」という言葉が使われ、ピリピ教会に対するパウロの愛着が現れています。

参考:
実用聖書注解(いのちのことば社)
Wikipedia

1章「生きることはキリスト」

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。:ピリピ人への手紙1章21節

キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいる聖徒たちへ。私はあなたがたのことを思うたびに神に感謝し、喜びをもって祈っています。あなたがたは、私が投獄されているときも、福音を弁明しているときも、私とともに恵みにあずかったので、来るべきキリストの日には、神のみ栄と誉れが表されますように。さて、兄弟たち。私がキリストのゆえに投獄されたことで、かえって兄弟たちに確信が与えられ、ますます大胆に神のことばが語られ、キリストが宣べ伝えられたこと知ってください。私にとっては、生きることはただキリストのためであり、死ぬこともまた益ですから、どちらを選んだらよいのかわかりません。しかしこの肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。

2章「ともに喜ぶ」

私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。:ピリピ人への手紙2章17節

私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心で志を一つにしてください。何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。それは、神の御姿であられるのに、ご自分を無にして、人間と同じようになられたキリストのうちにも見られるものです。神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。たとい私が注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。あなたがたも同じように、私といっしょに喜んでください。私のことがどうなるかわかり次第、テモテをそちらに遣わしますが、私自身も近いうちに行けると確信しています。

3章「国籍は天に」

私たちの国籍は天にあります。:ピリピ人への手紙3章20節

肉体の割礼を受けただけの悪い伝道者たちに気をつけてください。彼らは人間的なものに頼んでいます。人間的なものというなら、私にも頼むところは多くありますが、しかし私にとって得であったこのようなものを、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。私には、キリストへの信仰に基づいて神から与えられる、義の望みがあるからです。私はただそれを捕らえようとして、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄光をえるために、目標を目指して一心に走っているのです。兄弟たち。私に見ならう者になってください。というのは、多くの者が十字架の敵として歩んでいるからです。彼らの思いは地上のことだけで、彼らの最後は滅びです。けれども、私たちの国籍は天にあります。キリストは、御力によって私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光の体と同じ姿に変えてくださるのです。

4章「感謝とあいさつ」

私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。:ピリピ人への手紙4章19節

私の喜び、冠、私の愛する人たち。あなたがたは、主にあって一致し、いつも主にあって喜びなさい。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。あなたがたは、よく私と困難を分け合い、私の働きのために物を送ってくれました。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、私は満ち足りています。私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。こちらの聖徒たち、特にカイザルの家に属する人々が、よろしくと言っています。主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。

■コロサイ人への手紙

1分でわかる「コロサイ人への手紙」

獄中にあった使徒パウロが、テキコという人に託してコロサイの教会へ宛てた手紙です。コロサイは小アジアにあった町ですが、パウロが訪れたことはありません。伝道者エパフラスからこの教会の問題を聞かされたパウロが、偽りの教えに対して警告し、それと戦うようにと書き送ったのが本書です。エパフラスは、ピリピ人への手紙に出てくるエパフロデトと同一人物だと考えられています。

参考:
実用聖書注解(いのちのことば社)
Wikipedia

1章「かしらなる御子」

御子はそのからだである教会のかしらです。:コロサイ人への手紙1章18節

使徒パウロと兄弟テモテから、コロサイにいる聖徒たちへ。私は、エパフラスがあなたがたの聖徒たちへの愛を知らせてくれてから、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされるように、絶えず祈り求めています。神は、私たちを暗闇の圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に入れてくださいました。御子は見えない神のかたちであり、万物は御子によって、御子のために造られたのです。また、御子はそのからだである教会のかしらであり、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。なぜなら、神は、御子の十字架の死によって、万物をご自分と和解させてくださったからです。あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、この福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。

2章「定めからの解放」

あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。:コロサイ人への手紙2章6節

キリストのうちに真の知恵と知識との宝があるのですから、誰もまことしやかな議論によって誤ってしまわないようにしなさい。あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それらはキリストに基づくものではありません。神は、私たちを責め立てているいろいろな定めを無効にし、取り除けてくださったのです。ですから、食べ物や飲み物について、また祭りや安息日について、誰にもあなたがたを批評させてはなりません。あなたがたはキリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのに、どうしてまだ禁欲的な定めに縛られるのですか。そのようなものは、肉体の苦行などのために賢く見えますが、肉のほしいままの欲望に対しては、何の効き目もないのです。

3章「新しい人」

あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。:コロサイ人への手紙3章9、10節

こういうわけで、あなたがたがキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。地上のからだの悪い部分である不品行、汚れ、情欲、悪い欲、むさぼりを殺してしまいなさい。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。そこにはどんな人も区別がありません。ですから、神に選ばれた人として、深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけなさい。そしてこれらの上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

4章「塩味のきいたことば」

あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。:コロサイ人への手紙4章6節

私たちがキリストの奥義をはっきり語れるように祈ってください。この奥義のために、私は牢に入れられています。外部の人たちに対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。私の様子については、同労のしもべであるテキコと、忠実な愛する兄弟オネシモがあなたがたに知らせてくれるでしょう。この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオデキヤ人の教会でも読まれるようにしてください。私が牢につながれていることを覚えていてください。どうか、恵みがあなたがたとともにありますように。

■テサロニケ人への手紙第一、第二

1分でわかる「テサロニケ人への手紙第一、第二」

テサロニケは、現在のギリシャ北部のテッサロニキで、ローマ帝国の属州マケドニアの首都でした。パウロ、シラス、テモテの一行の伝道旅行の際にここに信徒を得て、テサロニケ教会の基となりました。しかしパウロらに反対する暴徒による暴動が発生し、一行は町を去ることを余儀なくされます。テサロニケを急に去らなければならなくなった無念さと、のちに来るであろう迫害を思い、たまらなくなったパウロは、テモテを遣わします。テモテから教会の信仰と愛を聞き、安堵し慰めを受けますが、若い教会が患難の中で励ましと教育を必要としていることを知ったパウロは、二通の手紙を書き送りました。第一の手紙は、パウロがこの教会のことを誇りに思う神への感謝に溢れており、またキリスト者のあり方に触れています。第二の手紙は、イエスの再臨について教え、怠惰な生活を戒めています。

参考:実用聖書注解 (いのちのことば社)

第一

1章「福音の広まり」

私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信によったからです。:テサロニケ人への手紙第一1章5節

パウロ、シワルノ、テモテから、テサロニケ人の教会へ。兄弟たち。あなたがたが神に選ばれた者であることは私たちが知っています。なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信によったからです。あなたがたは、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れました。こうして、あなたがたは、マケドニアとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。主のことばが、これらのところだけでなく、あらゆる所に伝わっているので、私たちは何も言わなくてよいほどです。私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、救い主イエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです。

2章「神のことば」

この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。:テサロニケ人への手紙第一2章13節

兄弟たち。私たちは激しい苦闘の中でも、大胆に神の福音をあなたがたに語りました。私たちは、あなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。私たちは、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信を受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。私たちはあなたがたの顔を見たいと願い、そちらへ行こうとしましたが、今まだ妨げられています。あなたがたこそ私たちの誉れ、また喜びです。

3章「手紙の動機」

あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。:テサロニケ人への手紙第一3章12節

そこで、私たちがそちらへ行けないので、もはやがまんできなくなり、あなたがたのところへ同労者テモテを遣わしたのです。それは、あなたがたの信仰を強め励まし、このような苦難の中でも動揺するものが出ないようにするため、またあなたがたの信仰を知るためでした。ところが今、テモテが私たちの元へ帰ってきて、あなたがたの信仰と愛について良い知らせをもたらし、またあなたがたも私たちに会いたがっていると知らせてくれました。こういうわけで、私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたの信仰によって慰めを受けました。私たちは、あなたがたのことで神の前にどんな感謝をささげたらよいでしょう。どうか、神であり主イエスである方ご自身が、私たちをあなたがたのところに行かせてくださいますように。また、あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。

4章「再臨のとき」

このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。テサロニケ人への手紙第一4章17節

兄弟たちよ。主イエスにあってお願いし、お勧めします。これは前もってあなたがたにきびしく警告しておいたことですが、神のみこころにしたがって、聖く歩んでください。神が私たちを召されたのは、汚れを行わせるためではなく、聖潔を得させるためです。兄弟愛については、あなたがたは実にマケドニア全土の兄弟たちに対してそれを実行していますから、ますますそうであってください。落ち着いた生活をし、自分の仕事に身を入れて働きなさい。また、死者についても知っておいてください。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

5章「主の来臨のとき」

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて、感謝しなさい。:テサロニケ人への手紙第一5章16~18節

主が、夜中の盗人のように再び来るということは、あなたがた自身がよく承知している通りです。しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもですから、慎み深くし、今している通り、互いに励まし合い、徳を高め合いなさい。主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認め、愛をもって尊敬しなさい。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

第二

1章「苦しみの報い」

あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国に入るためなのです。:テサロニケ人への手紙第二1章5節

パウロ、シワルノ、テモテから、テサロニケの教会へ。私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたが迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰を保っていることを、誇りとしています。あなたがたが苦しみを受けているのは、神の国に入るためなのです。主イエスが来られるとき、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、報いとして安息が与えられます。そのとき、福音に従わない人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けます。その日に、主はご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての人たちの感嘆の的となられます。どうか神が、あなたがたを召しにふさわしい者にし、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。

2章「不法の人」

まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。:テサロニケ人への手紙第一2章

さて兄弟たちよ。主イエス・キリストが再び来られることについて、その日がすでに来たかのように言われているのを聞いて、心を騒がせたりしないでください。だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、再臨の前にはまず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。彼はすべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、神の宮に自分の座を設け、自分こそ神であると宣言します。この不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴います。それに惑わされ、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者は、さばかれます。しかし兄弟たち。神は、御霊による慰めと、真理による信仰によって、救いに選ばれているのですから、堅く立って、私たちのことばや手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい。

3章「仕事の勧め」

静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。:テサロニケ人への手紙第二3章12節

終わりに、兄弟たちよ。主のことばが、あなたがたのところでと同じように早く広まるように、私たちのために祈ってください。兄弟たちよ。主イエス・キリストの御名によって命じます。締まりのない歩み方をしている人たちから離れていなさい。あなたがたのところで、私たちが人のパンをただで食べることはせず、昼も夜も苦労しながら働き続けたのは、あなたがたに模範を示すためでした。私たちは、働きたくない者は食べるなと命じました。ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、締まりのない歩み方をしている人がいるようですが、そのような人たちからは離れていなさい。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。どうか主イエス・キリスト恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。

■テモテへの手紙第一、第二、テトスへの手紙、ピレモンへの手紙

1分でわかるテモテ、テトス、ピレモンへの手紙

「テモテへの手紙第一」は、パウロが、エペソの教会の牧会(教会指導)を託されたテモテに宛てたもので、偽善的で不道徳な偽教師の問題への対応が主な内容です。
「テモテへの手紙第二」は、ローマの牢獄での殉教の死を目前にしたパウロからエペソにいるテモテに充てたもので、時期的にはパウロの最後の手紙です。偽教師の活動に対して、テモテに福音のために苦しむことを求め、使命を確認し、自分の死を控えてのテモテへの個人的な依頼となっています。
「テトスヘの手紙」は、パウロがクレテ島で伝道した後をゆだねたテトスに指示を与えているもので、教会の制度や組織に関する指示や、教理の継承についての教えが含まれています。
「ピレモンへの手紙」は、逃亡奴隷のオネシモをピレモンの元へ送り返すという内容の短い手紙です。オネシモは逃亡後、牢獄のパウロのもとに連れて来られ、パウロの元でキリスト者となりました。パウロはピレモンに、彼を主にある兄弟として扱ってくれるように愛を込めて懇願しています。

テモテへの手紙第一

1章「テモテへの命令」

この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰から出て来る愛を、目標としています。:テモテへの手紙第一1章15節

イエス・キリストの使徒パウロから、信仰によるわが子テモテへ。私があなたにお願いしたように、あなたはエペソに留まり、ある人たちが違った教えを説いたり、果てしのない空想話と系図に心を奪われたりしないように、人々に命じなさい。この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰から出て来る愛を、目標としています。ある人たちはこの目当てを見失い、無益な議論に走りました。彼らは律法の教師でありたいと望みながら、自分の言っていることを理解していません。テモテよ。以前あなたについてなされた預言に従って、私はあなたにこの命令をゆだねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。

2章「とりなしの祈り」

神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。:テモテへの手紙第一2章5節

そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが平安で静かに過ごすためであり、そうすることは神の御前に良いことです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。私はそのあかしのために使徒に任じられ、信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。

3章「神の家の監督と執事」

神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。:テモテへの手紙第一3章15節

教会で監督になる人は、自分をよく制し、慎み深く、品位があり、もてなし、教える能力があり、自分の家庭をよく治めている人でなければなりません。自分の家庭を治めることのできない人が、どうして神の教会を治めることができましょう。執事もまた、謹厳で、むさぼらず、きよい良心をもって信仰の奥義を保っている人でなければなりません。婦人執事も、威厳があり、悪口を言わず、自分を制し、忠実な人でなければなりません。まず診査を受けさせ、非難されるところがなければ、その職につかせなさい。私は近いうちにあなたのところに行きたいと思っていますが、私がおそくなった場合でも、神の家でどのように行動すべきかをあなたが知っておくために、この手紙を書いています。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。

4章「敬虔の鍛錬」

敬虔のために自分を鍛錬しなさい。:テモテへの手紙第一4章7節

偽善者たちは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりしますが、神が造られた物はみな良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。俗悪な空想話を避け、敬虔のために自分を鍛錬しなさい。今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。これらのことを命じ、また教えなさい。年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範となりなさい。
聖書の朗読と勧めと教えとに専念し、しっかりやりなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。

5章「牧会の勧め」

これらのことを偏見なしに守り、何事も偏らないで行いなさい。:テモテへの手紙第一5章21節

年寄りには父親に対するように、若い人には兄弟に対するように、年取った婦人たちには母親に対するように、若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。未亡人の中で、本当に身寄りのない者を敬いなさい。しかし未亡人に子や孫がいるなら、まずそれらの者に世話をさせなさい。若い未亡人は結婚し、子供を生み、家庭を治めるようにと願います。というのは、自堕落な生活をし、怠けて遊び歩くことを覚え、サタンについていった者があるからです。よく指導の任に当たっている長老は、大きな尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。罪を犯している者を、ほかの人も恐れるようにすべて人の前で責めなさい。これらのことを偏見なしに守り、何事も偏らないで行いなさい。

6章「信仰の戦い」

信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。:テモテへの手紙第一6章12節

信者である主人を持つ奴隷は、主人が兄弟だからといって軽く見ず、むしろますますよく仕えなさい。主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人は、ことばの争いをする病気にかかっており、そこから絶え間ない争いが生じるのです。しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益をうける道です。金銭を愛することは、あらゆる悪の根です。あなたは、誘惑とわなと、有害な欲を避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召されたのです。この世で富んでいる人たちには、高ぶらないように、富に望みをおかず、すべてを与えてくださる神に望みをおくように、惜しまず喜んで分け与えるように命じなさい。恵みが、あなたがたとともにありますように。

テモテへの手紙第二

1章「信仰の継承」

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。:テモテへの手紙第二1章7節

キリスト・イエスの使徒パウロから、愛する子テモテへ。私は、祈りの中でいつもあなたのことを思い起こしては、神に感謝しています。あなたの純粋な信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、母ユニケに宿り、それがあなたにも宿っているのです。ですから、あなたのうちに与えられた神の賜物を再び燃え上がらせてください。神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。主をあかしすることを恥じたりせず、むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。神の救いは、私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのであって、それが今、救い主イエス・キリストの現れによって明らかにされたのです。あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。

2章「働き人としての勧め」

あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのな働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。:テモテへの手紙第二2章15節

我が子よ。多くの証人たちの前で私から聞いたことを、他に人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。主はすべてことについて、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます。死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。何の益にもならず、聞いている人を滅ぼすようなことばについての論争や、俗悪なむだ話などしないように、人々に命じなさい。あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのな働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。若い時の情欲を避け、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。

3章「聖書の役割」

聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。:テモテへの手紙第二3章15節

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。彼らはいつになっても真理を知らない、真理に逆らう愚かな信仰の失格者です。けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだのかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんできたことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

4章「パウロの遺言」

今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。:テモテへの手紙第二4章8節

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耳を傾けようとせず、都合のよい空想話にそれて行く時代になるからです。しかしあなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として自分の務めを十分に果たしなさい。私が世を去る時が来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。
あなたは、何とかして冬になる前に私のところに来てください。すべての兄弟たちが、あなたによろしくと言っています。主の恵みが、あなたがたとともにありますように。

テトスヘの手紙

1章「惑わす者たち」

それは健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを正したりすることができるためです。:テトスヘの手紙1章9節

イエス・キリストの使徒パウロから、同じ信仰による真実の我が子テトスヘ。私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理をし、また、私が指図したように、町ごとに長老たちを任命するためでした。監督は神の家の管理者として、非難されるところがない者であるべきです。それは健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを正したりすることができるためです。実は、反抗的な者、空論に走る者、人を惑わす者が多くいます。彼らは不正な利を得るために、教えてはいけないことを教え、家々を破壊しています。ですから、彼らを厳しく戒めて、人々の信仰を健全にし、ユダヤ人の空想話や、真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい。彼らは、神を知っていると口ではいいますが、行いでは否定しています。

2章「健全なことば」

非難すべきところのない、健全なことばを用いなさい。:テトスヘの手紙2章7節

しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを話しなさい。すべての点で自分自身が良いわざの模範となり、教えにおいて純正で、威厳を保ち、非難すべきところのない、健全なことばを用いなさい。そうすれば、敵対する者も、私たちについて、何も悪いことは言えなくなって、恥じ入ることになるでしょう。キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自身の民を、ご自分のためにきよめるためでした。あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。

3章「イエスによる聖霊」

神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。:テトスヘの手紙3章6節

あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちに従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。私たちも以前は、愚かで不従順な者でしたが、神のいつくしみと愛が現れたとき、私たちの行った業によってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの相続人となるためです。しかし、無益で愚かな議論、系図、律法についての論争などを避けなさい。恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。

ピレモンへの手紙「逃亡奴隷オネシモ」

もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。:ピレモンへの手紙17節

キリスト・イエスの囚人であるパウロから、愛する同労者ピレモンへ。私は愛によってあなたにお願いします。私が獄中にあって回心者として生んだあなたの奴隷オネシモを、あなたの元へ送り返します。私は彼をとどめておき、福音のために働いてもらいたいとも考えましたが、あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。彼がしばらくの間あなたから離されたのは、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち愛する兄弟として取り戻すためであったのでしょう。ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。もし彼があなたに損害を与えたのなら、その請求は私にしてください。あなたは、私の言う以上のことをしてくださると確信しています。主イエス・キリストの恵みがありますように。

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13分で読む「コリント人への手紙第二」(【1分de聖書】まとめ)

1分でわかる「コリント人への手紙第二」

パウロがギリシャのコリント教会に宛てた手紙です。パウロは、コリント教会に生じていた様々な問題への対処として、前の「コリント人への手紙第一」を書いてテモテを遣わし、その後自らもコリントを訪れました。しかしその後、ユダヤ主義者によるパウロへの反対、中傷が強くなります。こうした状況を憂えたパウロは、テトスを派遣します。戻ってきたテトスから、コリント教会の悔い改めを聞いたパウロは、安堵に胸をなでおろしながら、しかし未だ居残っている反対者への対応のため再びコリントを訪れることを計画し、それに先立ってこの第二の手紙を書きました。新約聖書のパウロの書簡の中でも、怒ったり喜んだりと、最もパウロの人間性が表れているのが特徴です。

参考:
新聖書注解 新約2(いのちのことば社)
実用聖書注解(いのちのことば社)

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1章「慰めと思いやり」

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。:コリント人への手紙第二1章4節

神のみこころによるイエス・キリストの使徒パウロから、コリントにある神の教会へ。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。私はアジヤで非常に激しい苦しみにあい、死をも覚悟しましたが、神は私たちを救い出してくださいました。私たちはこの世の中で、特にあなたがたに対しては、人間的な知恵によらず、聖さと誠実をもって、神の恵みによって行動しています。ですから、初めにマケドニアからあなたがたのところに行く計画を立てていたことが、どうして軽率でありえたでしょう。私はこのいのちにかけ、神を証人にお呼びして言いますが、私がまだコリントに行かないでいるのは、あなたがたに対する思いやりのためです。私たちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために働く協力者です。

2章「涙の手紙」

そこで私は、その人に対する愛を確認することを、あなたがたに勧めます。:コリント人への手紙第二2章8節

私は以前、大きな苦しみと嘆きから、涙ながらに、あなたがたに悪い者を取り除くようにとの手紙を書きました。それはあなたがたを悲しませるためではなく、私のあふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。それで、あなたがたの悲しみの元になった人にとっては、すでに多数の人から受けた処罰で十分ですから、むしろその人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人は悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。そこで私は、その人に対する愛を確認することを、あなたがたに勧めます。私があの手紙を書いたのは、あなたがたがすべてに従順であるかどうかを知るためでした。もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人をキリストの御前で赦します。

3章「新しい契約」

神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。:コリント人への手紙第二3章6節

私があなたがたに自分を使徒と主張するのは、自分自身を推薦するためではありません。あなたがたが私の推薦状そのものであり、キリストにあって確信を持っています。神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。律法という旧い文字による契約ではなく、神の御霊という新しい契約に仕えるのです。文字による契約はあなたがたを罪に定めるものですが、それにも神の栄光があったとすれば、御霊によって義とされる務めには、どれほどの栄光があることでしょう。このような望みを持っているので、私たちはきわめて大胆に振る舞います。律法が読まれるとき、あなたがたの心にはおおいが掛けられているのですが、私たちはキリストによってそのおおいを取り除かれて、主の栄光を反映させながら、主と同じかたちに変えられていくのです。

4章「勇気を失わず」

たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。:コリント人への手紙第二4章16節

こういうわけで、この務めに任じられている私たちは、勇気を失わず、悪巧みに歩まず、神の言葉を曲げずに福音を語っています。私は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。いつでもイエスのために死と隣り合わせになっていますが、それはイエスのいのちがこの身において明らかに示されるためです。すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人に及んで、神の栄光が現れるようになるためです。ですから、私たちは勇気を失いません。たとえ私たちの外のからだは衰えても、内側は日々新たにされています。私たちは、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

5章「新しく造られた者」

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。:コリント人への手紙第二5章17節

私たちは、この肉体がこわれても、天に神の下さる永遠の家があることを知っています。ですから、私たちは心強いのです。私たちは見るところによってではなく、見えない信仰によって歩んでいますが、肉体の中にあろうと、肉体を離れようと、願うところは主に喜ばれることです。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、人々に責めを負わせないようにされたのですから、この神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を私たちの代わりに罪とされました。それで、私たちはこの方にあって、神の前に義とされるのです。

6章「今は救いの日」

確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。:コリント人への手紙第二6章2節

今は恵みの時、今は救いの日なのですから、神の恵みを無駄にしないように、あなたがたにお願いします。私たちは、この宣教の務めが非難されないように、どんなに厳しい境遇にあっても、神のしもべとして歩んできました。私たちは人をだます者のように見えても真実であり、人に知られないようでもよく知られ、死にそうでも生きており、何も持たないようでもすべてのものを持っています。コリントの人たち、私たちはあなたがたに包み隠さず、自分の子どもに対するように言いますから、どうか私の言うことに対して心を広く開いてください。正義と不法にはつながりはありません。私たちは生ける神の宮として、偶像を避け、あの不信者たちに惑わされないようにしなさい。

7章「神のみこころに添った悲しみ」

神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。:コリント人への手紙第二7章10節

マケドニアに着いたとき、私には少しの安らぎもなく、外には戦い、内には恐れがありました。しかし神は、テトスがあなたがたのところから戻って来たことで、私を慰めてくださいました。私は彼から、あなたがたが私を慕っていること、また過ちを嘆き悲しんで悔い改めたことを聞いて喜んでいます。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだのです。神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。あなたがたの悲しみは、起こっていた問題についてはっきりと決着をつけさせました。このことの慰めに加えて、あなたがたがテトスに良くしてくださったことで、テトスは喜び、あなたがたへの愛情を深めています。

8章「施す恵み」

あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。:コリント人への手紙第二8章9節

兄弟たち、マケドニアの教会について知ってください。彼らは、極度の貧しさにも関わらず、あふれる喜びから惜しみなく施し、聖徒たちを支える交わりの恵みの中に入りたいと願ったのです。そして、私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主にささげ、また献金をも私たちにゆだねてくれました。あなたがたも、私たちの主イエス・キリストが恵み深い方であるのを知っているのですから、エルサレムの聖徒たちのために、昨年から、他に先んじて行っている献金を成し遂げなさい。今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになり、こうして皆が平等になるのです。あなたがたのところに、テトスと、兄弟たちを送ります。あなたがたの愛と、私たちがあなたがたを誇りとしている証拠とを、諸教会の前で、彼らに対して示して欲しいのです。

9章「惜しみなく与える」

神は喜んで与える人を愛してくださいます。:コリント人への手紙第二9章7節

どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。少しだけ撒く者は、少しだけ刈り取り、豊かに撒く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらではなく、強いられてでもなく、心で決めた通りにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることができる方です。あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。このわざを証拠として、聖徒たちは神をあがめることでしょう。

10章「主から授けられた働き」

自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。:コリント人への手紙第二10章18節

さて、私があなたがたのところに行くときに、偽使徒たちのことで強気にふるまわずに済むように願っています。私の戦いの武器は肉のものではなく、神の御前で力あるもので、あらゆる不従順を処罰する用意ができているのですが、私の権威はあなたがたを倒すためにではなく、立てるために主から授けられたものです。偽使徒たちは私のことを「彼の手紙は力強いが、実際に会うと弱々しい」と言いながら、自分たちで自己推薦しているのです。彼らは、私があなたがたのところに行くのを、私の領域外のように言いますが、そうではありません。私は自分の限度を越えて他の人の働きを誇ることはしません。ただ、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたによって、私たちの領域で働きが広がることを望んでいます。自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。

11章「パウロの誇り」

もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。:コリント人への手紙第二11章30節

ある人たちがあなたがたの間で、私たちの宣べ伝えなかった別のイエス、異なった福音を伝えているので、万一にもあなたがたの思いがそれに汚されないかと心配です。彼らは偽使徒であり、人を欺く者です。自分のことを誇るのは愚かなことですが、彼らが私のことを批判しているので、私も少し誇ってみせましょう。彼らがヘブル人だと言うなら、私もそうです。彼らがアブラハムの子孫だと言うなら、私もそうです。彼らがキリストのしもべだと言うなら、私は狂気したように言いますが、彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられ、むち打たれ、石打ちにあい、死に直面し、難船し、盗賊にあい、飢え、寒さに凍えてきました。誰かが弱くて、私が弱くないということがあるでしょうか。もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。

12章「弱さのうちの強さ」

わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。:コリント人への手紙第二11章9節

私は、自分の弱さ以外には誇りません。私は、高ぶることがないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。これを去らせてくださるように三度も主に願いましたが、主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んでわたしの弱さを誇りましょう。私が弱いときにこそ、私は強いからです。今、私はあなたがたのところに三度目に行こうとしていますが、私は悪賢くて、あなたがたからだまし取っていると言われているようです。いったい誰があなたがたを欺くことがあったのでしょうか。私がもう一度行くとき、あなたがたの中の不品行な者たちを嘆くことにならないかと恐れています。

13章「完全な者になりなさい」

兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。:コリント人への手紙第二13章11節

以前そちらに行ったときにも言っておきましたが、前から罪を犯している人たちに対しては、今度は容赦はしません。これは私がキリストにあって言うことです。あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。私たちは、あなたがたがどんな悪をも行わず、完全な者になるように神に祈っています。私が行ったとき、主が私に授けてくださった権威を用いて厳しい処置をとることのないように、この手紙を書いています。この権威が与えられたのは築き上げるためであって、倒すためではないのです。終わりに、兄弟たち、喜びなさい、完全な者になりなさい、一つ心になりなさい、平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。主イエス・キリストの恵み、神の相手の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。

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【iPad】新改訳聖書アプリがiPadに対応

普段使っているのは新改訳聖書ですが、そのアプリが、やっと、やっとiPadに対応してくれました。

 

今まではiPhone用の画面しかなく、2倍サイズにするのがせいぜいだったので、iPadで使うことはまずありませんでした。

しかし!

やっとこれでiPadで聖書を読むことができます。

Word of Life
新改訳聖書(3000円)
販売元:Word of Life(6MB)
カテゴリ:Book
全てのバージョンの評価:★★★☆☆(80件の評価)

 

ご覧のように、相変わらず堅気な見栄えではありますが、大きな画面で読むという最低限のことはできるようになりましたし、テキストのコピーもできるので、ブログなどに引用するのにも使えます。

3000円もするのですから、当然ユニバーサルアプリであるべきでしょうけど、遅まきながら対応してくれたというわけです。

迷っていた方には朗報でしょう。

Word of Life
新改訳聖書(3000円)
販売元:Word of Life(6MB)
カテゴリ:Book
全てのバージョンの評価:★★★☆☆(80件の評価)

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【キリスト教Q&A】お父さんさあ、どうしてかみさまは人間を

お父さんさあ、どうしてかみさまは人間を、罪をおかさないようにつくらなかったの?そしたらあーちゃんたち、しななくてすんだのに。

あーちゃん、それはとってもいい質問だね。
あのさ、あーちゃん。
あーちゃんがどこかのお嬢様でさ、召使いがいるとするじゃない。

うん。

で、あーちゃんがその召使いに、「今日はあーちゃんの誕生日だから、プレゼント買ってきて」って頼んだら、召使いはどうするかな。

買ってくるんじゃない。

そうだよね。じゃあさ、あーちゃんのお友達も、あーちゃんに「誕生日おめでとう」ってプレゼントしてくれたとするよ。

うん。

そしたらさ、あーちゃん、召使いのとお友達のと、どっちのプレゼントがうれしい?

お友だち。

それはどうして?

だってさ、お友だちはあーちゃんのことを心からおめでとうっていう気持ちでプレゼントくれたから。

だよね。
神様もさ、神様の言うことを言いつけで従うんじゃなくて、神様のことが心から好きで、進んで従ってくれるのが嬉しいんだよ。だから人間のことを、何でも言うことを聞く召使いみたいにじゃなくて、お友達のように造ったんだよ。

へええ。

だから人間は、罪を犯さないこともできたのに、罪を選んじゃったんだよ。

そっかあ。

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Q:放蕩息子は身勝手では?

Q:放蕩息子(ルカ福音書15章)はあまりにも身勝手だと思います。親の財産を湯水のように使っておいて、無くなったらしおらしい顔をして親の元へ帰っただけ。こんな都合のいいやり方で、本当に「悔い改めた」と言えるのでしょうか。神様はこんな身勝手な人でも救うというのでしょうか。

A:放蕩息子のたとえは、聖書の中ではよく知られた話です。

生前分与された財産を放蕩して使い果たし、食うにも困って、父親の元に帰ってみると、まだ遠いうちから父親は息子を見つけ、駆け寄って上等の着物を着せ、ごちそうを振舞って迎えます。

確かに身勝手、都合良過ぎとの批判は免れないように思います。

常識的な感覚で言えば、この息子はまず父親に自分の身勝手を悔い、反省し、自分が悪かった、申し訳ありませんと詫びるべきであったでしょう。その上で父親は、息子が真摯に反省しているのを確かめた上で、もう二度とこんなことはしないように、と小言の一つでも言うべきかも知れません。

ところが父親は、息子の反省の弁を聞くどころか、自ら駆け寄って迎え、喜びに湧き踊ったのです。

実は、ここに「悔い改め」の本質を見ることができるのです。

神の救いに与るためには、確かに「悔い改め」が必要です。

「悔い改め」という言葉には「悔いて反省する、悪いと認めて直そうとする」というニュアンスが感じられます。

ところが、聖書で使われているギリシャ語「メタノイア」には、そのような「悔いる」意味はなく、単に「方向を変える」という意味なのです。

つまり、悪い意味でも良い意味でも、方向転換するときに使う言葉なのです。

するとどういうことになるでしょうか。

救われるために必要なことは、神のほうに向きを変える、ということになります。

向きを変えるために必要なのは、自分は間違った方を向いている、と気づくことです。

放蕩息子は、どうだったでしょう。

紛れもなく彼は、父親の方向に向きを変えていました。

彼は、豚の餌でも食べたいとまで思い、父親の家には食物があるではないか、と思ったそのとき、すでに「悔い改め」ていたのです。

私たちの謝罪など、ちっぽけなもの、無力なものです。

二度としませんと言った次の日には同じ失敗を繰り返すかも知れない、そんな弱い存在なのです。

神が私たちを救うのは、私たちのそんな無力な謝罪によってではなく、神の方を向くことによるのです。

謝罪は、そちらを向いたからこそできること。救われたからこそできることです。

順番を間違えないようにしましょう。

赦しを乞う前に、あなたはもう赦されているのです。

 

 

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16分で読む「コリント人への手紙第一」(【1分de聖書】まとめ)

姉妹サイト【1分de聖書】に掲載している聖書要約をまとめたものです。
1分de聖書】 では、日替わりで1日1章、1分で読める聖書要約をフォトとともに掲載しています。

1分でわかる「コリント人への手紙第一」

コリントはギリシャにある大きな町でした。コリント教会は、パウロがその地で宣教してできた教会です。パウロがその地を離れたあと、コリントの教会では、仲間割れを始め様々な問題が生じました。またコリントは偶像や誘惑の多い町でしたから、それらへの対処も必要でした。そこでパウロは彼らに向けて、キリストの十字架に立ち返るようにとこの手紙を書きました。この手紙でパウロは、教会の中で生じる分裂、結婚、食物、礼拝などの様々な具体的な問題に対して教えています。

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photo credit: Tilemahos Efthimiadis via photopin cc

1章「十字架は神の力」

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。:コリント人への手紙第一1章18節

パウロとソステネから、コリントにある神の教会へ。兄弟たち、私は主イエス・キリストの御名によってあなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ判断を保ってください。あなたがたの間には分裂があって、「私はパウロにつく」「私はペテロに」などと言って争っていると聞いています。私が遣わされたのは福音を宣べ伝えるためで、「自分はパウロからバプテスマを受けた」と言わせるためではありません。キリストの十字架は、言葉巧みな知恵によるのではありません。十字架のことばは、愚かに聞こえても、救いを受ける私たちには、神の力です。ですから、この世の知者が自分の知恵で神を知るのではなく、この世では弱く愚かな者が、キリストの十字架という神の力によって、神を知るのです。それは、誰も自分で神を知ったと誇らせないためです。

2章「神の御霊」

目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。:コリント人への手紙第一2章9節

私の宣教は、説得力のあることばによってではなく、神の御霊と御力の現れによったのです。それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵ではなく、神の力に支えられるためでした。十字架の出来事は、見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことのないものです。神の御心は、神の御霊だけが知っています。ですから、十字架の出来事の意味は神の御霊によらなければ知ることはできません。生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れず、悟ることもできません。恵みによって神の御霊を受けている人だけが、それをわきまえることができるのです。

3章「イエスという土台」

その土台とは イエス・キリストです。ーコリント人への手紙第一3章11節

ある人は「私はパウロにつく」と言い、別の人は「私はアポロに」と言う、そんなことではあなたがたはただの人ではありませんか。私が植えて、アポロが水を注ぎましたが、成長させてくださるのは神です。誰も据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできません。その土台とはイエス・キリストです。あなたがたはこの土台の上に建てられた神の神殿であり、神の御霊が宿っていることを知らないのですか。パウロもアポロもすべてあなた方のものであり、あなたがたはキリストものであり、キリストは神のものです。

4章「キリストにある生き方」

ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。:コリント人への手紙第一4章16節

あなたがたは、自分たちをキリストの隷、神の奥義の管理人だと考えて、神に忠実でありなさい。書かれていることを越えず、一方にくみして高慢にならないようにしなさい。あなたがたは満ち足りて王様のようになっていますが、あなたがたがもっているものは、すべて人からもらったもので、自分で誇れるものではないはずです。この私が福音によって、キリスト・イエスにあってあなたがたを生んだのではありませんか。ですから、私にならう者となってください。あなたがたの所へ送るテモテが、キリスト・イエスにある私の生き方を思い起こさせてくれるでしょう。

5章「古いパン種を除く」

新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。:コリント人への手紙第一5章7節

あなたがたの間に、ひどい不品行の者がいると聞いています。それなのにあなたがたは、そのような者を取り除こうとしなかったのです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。私たちは、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、純粋で真実なパンを用いようではありませんか。もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者がいるなら、そのような者と一緒にいてはいけません。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。

6章「からだをもって

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。:コリント人への手紙第一6章20節

あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを知らないのですか。しかし以前はそのような悪い者であっても、今は主イエス・キリストと神の御力によって、あなたがたは洗われ、義と認められたのです。ですから、あなたがたのからだはキリストの一部です。そのからだをとって遊女のからだとするのですか。不品行を避けなさい。それは自分のからだに対して罪を犯すのです。あなたがたは、キリストという代価を払って買い取られたのです。ですから自分の体をもって、神の栄光を現しなさい。

7章「結婚と独身について」

ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに行き方があります。:コリント人への手紙第一7章7節

男が女にふれないことは良いことですが、不品行を避けるため、それぞれ妻や夫を持ちなさい。しかし、ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに行き方があります。自分から妻や夫を離別してはいけませんが、信者でない相手が離れて行くのなら、行かせなさい。おのおの、自分が召されたときの状態で歩むべきです。独身者は、主のことをひたすら考えますが、結婚している者は相手のことを考えるので、心が分かれるのです。しかしこれはあなたがたの益のために言っているのであって、束縛しようとしているのではありません。結婚するのは良いことであり、独身でいられるのはもっと良いことなのです。

8章「弱い人をつまずかせないように」

彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです。:コリント人への手紙第一8章12節

偶像にささげた肉を食べることについてですが、私たちには唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。ですから、その肉を食べることが実際に害になるわけではありません。しかしそのあなたがたの知識と権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。偶像についてしっかりした考えのない人が、私たちが偶像にささげた肉を食べるのを見たならば、その人の良心は弱いのに、そのような肉を食べるようなことにならないでしょうか。するとその弱い人は、あなたがたの知識によって汚れることなるのです。彼らの弱い良心を踏みにじるとき、あなたがたは、キリストに対して罪を犯しているのです。

9章「栄冠を目指して」

あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。コリント人への手紙第一9章24節

働いた者が報酬を得るのは当然なように、私も、使徒としての福音の働きから生活の糧を得る権利があるはずです。しかし私は、この権利を用いませんでした。私の福音の働きは、私がどうしてもしなければならないことだからです。また私は誰に対しても自由ですが、一人でも多くの人を獲得し救いに導くため、それぞれの人の奴隷のようになりました。ユダヤ人にはユダヤ人のように、律法を持たない人々には律法を持たない者のように、弱い人々には弱い者になったのです。私はすべてのことを福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。あなたがたも、競技をする者のように、賞を目指して走りなさい。

10章「ただ神の栄光のために」

あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。コリント人への手紙第一10章31節

神は真実かたですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。ですから愛する者たちよ、偶像礼拝を避けなさい。それは悪霊と交わることです。すべてのことはしてもよいのですが、それらがすべて有益とは限りません。誰でも、自分の利益をもとめないで、他人の利益を心がけなさい。こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

11章「ふさわしくあれ」

これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。:コリント人への手紙第一11章24節

男は男の、女は女のあるべき秩序にふさわしいようなあり方でいなさい。とはいえ、男と女とは互いに離れてあるものではありません。女が男をもとにして造られたのと同様に、男も女によって生まれるからです。また、あなたがたが集まって食事するときに我先にとしているのは、ほめられることではありません。主イエスは、最後の晩餐をとるとき、パンと杯とり、「わたしを覚えて、これを行いなさい。」と言われたのです。ですからあなたがたは、食事をするたびに、主の死を告げ知らせるのです。ですから、飲み食いするときは自分を吟味しなさい。主イエスのみからだをわきまえず、ふさわしくないままで飲み食いするならば、主に対して罪を犯すことになります。

12章「御霊の賜物」

あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。:コリント人への手紙第一12章27節

御霊の賜物について、あなたがたに知っておいていただきたいことがあります。賜物にも奉仕にもいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊、主は同じ主です。御霊は人に働いて、知恵の言葉、知識、信仰、いやし、奇跡、預言、異言など、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。からだは一つの器官ではなく、多くの器官からなっているようにです。目が手に向かって、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」ということはできません。各器官が互いにいたわり合い、一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

13章「愛について」

いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。:コリント人への手紙第一13章13節

たとえすべての事に通じていても、完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。愛は寛容であり、愛は親切です。また、人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して耐えることがありません。いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

14章「徳を高めるために」

あなたがたが集まるとき、すべてのことを、徳を高めるためにしなさい。:コリント人への手紙第一14章26節

御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。異言は人に話すのではなく、神に話すのですが、預言は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話すのです。異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。もし異言を話す者が解き明かしをして教会の徳を高めるのでないなら、異言を語る者よりも、預言する者のほうがまさっています。私は異言も話しますが、教会では、異言で一万語話すよりは、知性を用いて五つの言葉で話したいのです。あなたがたが集まるとき、すべてのことを、徳を高めるためにしなさい。すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。

15章「キリストは復活した」

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として、死者の中からよみがえられました。:コリント人への手紙第一15章20節

兄弟たち、私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、キリストが、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死んで葬られたこと、また聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、またそれから弟子たちに現れたことです。なぜあなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。キリストが復活しなかったら、私たちの宣教は実質がなく、あなたがたの信仰もむなしくなり、あなたがたは今なお罪の中にいるのです。もしそうなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として、死者の中からよみがえられました。死がアダムというひとりの人を通して来たように、死者の復活も、キリストというひとりの人を通して来たからです。

16章「あいさつ」

いっさいのことを愛をもって行いなさい。:コリント人への手紙第一16章14節

聖徒たちのための献金を前もって集めておきなさい。わたしがそちらに行ったとき、エルサレムに届けさせましょう。テモテがそちらへ行ったら、あなたがたのところで心配なく過ごせるように心を配ってください。目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。いっさいのことを愛をもって行いなさい。すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。パウロが自分の手であいさつを書きます。主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。私の愛は、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべての者とともにあります。アーメン。

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16分で読む「ローマ人への手紙」(【1分de聖書】まとめ)

姉妹サイト【1分de聖書】に掲載している聖書要約をまとめたものです。
1分de聖書】 では、日替わりで1日1章、1分で読める聖書要約をフォトとともに掲載しています。

1分でわかる「使徒の働き」

1分でわかる「ローマ人への手紙」
パウロによる書簡の一つです。「ローマ人」とありますが、これはローマ人一般ではなく、ローマの教会を指します。ローマ帝国の首都ローマの教会がどのようにして始まったのかは明らかではありませんが、当時まだ使徒たちが訪れたことがない場所であり、他の場所で福音を聞いて信仰を持った人が始めたと考えられています。この手紙にはイエス・キリストを信じる信仰の内容、すなわち「神」「罪」「救い」が詳細に、体系的にまとめられています。そして、人が救われるのは「行い」ではなく「信仰」によることがはっきりと示されます。

Photo
photo by Youichi UeDA

1章「ローマへの思い」

福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。ーローマ人への手紙1章16節

使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロから、ローマにいる聖徒たちへ。私はいつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかしてそちらへ行きたいと願っています。あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。私はローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。神の目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、神によって造られたものによってはっきりと認めることができます。それなのに、ある人々は神を認めず、感謝もせず、神を偶像としてしまいました。

2章「本当の割礼とは」

神にはえこひいきなどはないからです。ーローマ人への手紙2章11節

他人をさばく人は、それによって自分を罪に定めています。自分が同じことをしているからです。神はひとりひとりに、その行いに従って報いを与えます。善を行うものには永遠のいのちを、悪を行うものには怒りを下します。それにはユダヤ人もギリシャ人もありません。神にはえこひいきなどはないからです。ですから、律法を持ち、それを誇りとし、割礼を受けてはいても、実際には律法に背いて生きるなら、割礼を受けていないのと同じではないでしょうか。逆に割礼を受けていない人が律法を守って生きるなら、割礼を受けているとみなされないでしょうか。外見上ではなく、御霊による心の割礼こそ、本当の割礼です。

3章「信仰による義」

ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。ーローマ人への手紙3章24節

私たちユダヤ人は、神のいろいろなおことばをゆだねられています。とは言え、ユダヤ人もギリシャ人も、すべての人が罪の下にあるのです。「義人はいない。ひとりもいない。」と書いてある通りです。私たちには律法が与えられていますが、律法を行うことでは誰ひとり義とは認められません。しかしいま、律法とは別に、神の義が示されました。すなわちイエス・キリストを信じる信仰による義であり、それは差別がありません。すべての人は罪を犯したので神の前に義とはされず、ただ神の恵みにより、イエスのゆえに、値なしに義と認められるのです。

4章「義と認められる」

主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。ーローマ人への手紙4章25節

私たちの父祖アブラハムの場合はどうでしょう。彼は行いによって、また割礼によって義と認められたのでしょうか。そうではありません。割礼を受ける前に、神を信じる信仰によって、義と認められたのです。何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。彼が信仰によって義と認められたのは、ただ彼のためだけでなく、私たちのためです。私たちが主イエスをよみがえらせた神を信じるとき、その信仰が義とみなされるのです。主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

5章「神の愛」

私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ーローマ人への手紙5章8節

私たちは、主イエス・キリストによって神との平和を持っており、また神の愛は私たちの心に注がれています。なぜなら、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちへの愛を明らかにしたからです。イエスによって神と和解させられた私たちは、神を大いに喜んでいるのです。それは、初めのひとりの人の違反により罪がこの世界に入り、死がすべての人を支配するようになったのですが、同様にひとりの人イエス・キリストの義の行為によって、多くの人が義とされるからです。罪が死によって支配したように、恵みがイエスによる義によって支配し、私たちに永遠のいのちを得させるのです。

6章「キリストとともに」

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。ーローマ人への手紙6章23節

私たちは、キリストを信じたことで、キリストとともに十字架に付けられ、キリストとともに死んで葬られたのです。死んでしまった者は、罪から解放されているのです。私たちがキリストとともに死んだのであれば、復活したキリストとともに生きることにもなります。このように、私たちは罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリストにあって生きているのです。では、もはや私たちはいくら罪を犯しても良いのでしょうか。いいえ、私たちは罪の奴隷から解放されて、義の奴隷となったのです。罪から来る報酬は死です。しかし神の下さる賜物はキリストにある永遠のいのちです。

7章「みじめな人間」

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。ーローマ人への手紙7章24節

戒めは本来良いものですが、戒めに機会を捉えた罪が、私を死に導くのです。私は、自分が本当にしたいことではなく、したくないことを行っているのです。これは、私の肉体のうちに善が住んでいないからです。私が善をしたいと思うのにそれを実行できないのは、私のうちに罪が住んでいるからです。私は、内なる心では神に仕えているのに、肉のからだでは罪に仕えている、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。それは私たちの主イエス・キリストです。

8章「御霊にある者」

なぜなら、イエスにあるいのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたがたを解放したからです。ーローマ人への手紙8章2節

こういうわけで、イエス・キリストにある者が罪に定められることはありません。なぜなら、イエスにあるいのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたがたを解放したからです。律法によってはできなくなったことを、神がしてくださったのです。神はご自分の御子を遣わし、その御子の肉において罪を処罰されました。ですから、イエスを死者の中からよみがえらせた神の御霊が、あなたがたのうちに住んでいるなら、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。神の御霊に導かれる人は、神の子供であり、イエスを長子とする神の共同相続人でもあります。この人々のためには、神はすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

9章「イスラエルの過ち」

事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。ーローマ人への手紙9章16節

私は同胞のイスラエルが救われることを何よりも願っています。イスラエル人は、神から、律法を含め特別なものを与えられています。神はアブラハム、イサク、ヤコブへの約束を通してイスラエルを定めました。それは人間の願いや努力によるのではなく、神の思いによるのです。しかしイスラエルは、律法を追い求めながら、その律法によって救いには到達しませんでした。それは、信仰によって追い求めることをしないで、律法を守るという行いによるかのように追い求めたからです。ですからかえって、律法を追い求めず、信仰によって追い求めた異邦人が義とされたのです。

10章「イスラエルの不信」

信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。ーローマ人への手紙10章17節

イスラエルは神には熱心ですが、それは知識に基づくものではありません。彼らは自分が正しいことを示そうとしますが、行いによって義とは認められないからです。イエスを主と告白し、神はイエスをよみがえらせてくださったと信じることで義と認められ、救われるというのが、私たちの宣べ伝えている信仰のことばです。聖書は「彼に信頼するものは、失望させられることがない」と言っています。また「主の名を呼び求める者は、誰でも救われる」のです。信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。しかしイスラエルは、みことばを知らされ、聞かされていたのに、信じなかったのです。

11章「イスラエルの回復」

こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。ーローマ人への手紙11章26節

では、神はイスラエルを退けてしまわれたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。イスラエルもまた、恵みによって選ばれているのです。もし恵みによるのであれば、もはや行いによるのではありません。救いが異邦人に及んだのはイスラエルが背いたからであり、それによってかえってイスラエルにねたみを起こさせ、イスラエルにも救いをもたらすためなのです。ですからあなたがた異邦人は、イスラエルに対して誇ってはいけません。神の奥義は、異邦人の完成がなるとき、イスラエルはみな救われる、ということです。

12章「キリストにある生き方」

喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。ーローマ人への手紙12章15節

あなたがたは、自分自身を、神への生きた、聖い供え物としてささげなさい。それこそが霊的な礼拝です。神のみこころは何かを知るために、心の一新によって自分を変えなさい。私たちはキリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。兄弟愛をもって互いに愛し合い、尊敬し合いなさい。喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。だれに対しても、悪に悪をもって報いることをせず、すべての人が良いと思うことをしなさい。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

13章「愛は律法を全うする」

愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。ーローマ人への手紙13章10節

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。同様に、税を収め、義務を果たしなさい。だれに対しても何の借りもあってはなりませんが、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。「姦淫するな、殺すな、盗むな」など、どんな戒めも、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。

14章「人をさばくな」

私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。ーローマ人への手紙14章19節

あなたがたは、なぜ人をさばくのですか。ある日を、他の日に比べて大事だと考える人もいるし、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の中で確信を持ちなさい。私たちは、互いにさばき合わないようにしましょう。食べ物のことなどで、他の兄弟たちのつまづきとならないようにしましょう。平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。すべての物はきよいので、それ自身で悪い物ではありませんが、それを食べて信仰の弱い人々につまづきを与えるような人の場合は、悪いのです。疑いを感じる人が食べるなら、信仰から出たことではないので、それは罪です。

15章「一つ思いとなって」

それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。ーローマ人への手紙15章6節

私たちは、自分を喜ばせるのではなく、互いに隣人の徳を高め、益になるようにすべきです。どうか忍耐と励ましの神が、あなたがたをキリストにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださるように。それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。キリストが神の栄光のために私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。さて、私は異邦人が救われるために仕えてきましたが、もうこの地方には私の働くべき所がなくなったので、一旦エルサレムに行き、それからあなたがたの所に行きたいのです。

16章「あいさつ」

あなたがたは善にはさとく、悪にはうとくあってほしいと望んでいます。ーローマ人への手紙16章19節

そちらにいる人々に、主イエス・キリストにあってよろしく伝えてください。こちらのキリストの教会はみな、あなたがたによろしくと言っています。私はあなたがたにお願いします。分裂とつまづきを与える人たちを警戒し、彼らから遠ざかりなさい。彼らは自分の欲に仕えているのです。あなたがたは善にはさとく、悪にはうとくあってほしいと望んでいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、栄光が永遠にありますように。アーメン。

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高さ19 cm x 幅 14.4 cm  x 厚さ 5 cm

 

■上より一回り小さい新改訳聖書

高さ15.2 cm  x 幅 9 cm x  厚さ 5 cm

 

■文庫本サイズの新改訳聖書

以下は iPhone / iPad の聖書アプリです。


■新改訳聖書

日本聖書刊行会の新改訳聖書第3版です。

検索やマーキング、メモもできます。

ただし

 ・高解像度に対応していないのでiPadでは拡大表示のみ。
 ・テキストのコピーができない
 ・高い

のが残念です。


■対訳聖書

日英を両方同時に読める便利な聖書です。

よくホテルとかに置いてある日英対訳版のイメージです。

日本語は口語訳が入っています。

■リビングバイブル

読みやすさ・わかりやすさを目指して大胆に意訳された聖書です。

通常の聖書のように章や節がついているので、入門者にはおすすめです。

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「そのままでいい」というメッセージの罠

みんなちがって、みんないい

金子みすゞさんの詩「わたしと小鳥と鈴と」にある言葉です。

素の自分でいいというメッセージが込められているこの言葉は、多くの人の共感を得ています。自分を他人と比べて優劣を争う必要はない。違いを個性として認め合い、一人一人がかけがえのない大切な存在であるという、私も好きな言葉の一つです。

さて、キリスト教会でも、このような言葉が語られることがあります。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節)

この聖書の言葉は、「自分なんて・・・」と打ちひしがれている人に慰めを与えてくれます。何の価値もないと思っていた自分でも、神様は尊いと言ってくださる。それは「みんなちがって、みんないい」と共通するところがあるように思えます。

しかし、聖書のメッセージは、実はそれだけではないのです。

そのことを考えさせられたきっかけは、「近年、礼拝説教で『そのままでいい』という『だけの』メッセージが多く聞かれる」というある人の印象でした。

「神様はあなたをそのままで愛してくださる。」

これは真実です。神様は、私たちが弱く小さな、欠点もある存在であることをよくご存知で、それでも私たちを愛して下さいます。しかし、それだけで終わってしまっては、聖書のメッセージの大切な部分を抜いていることになるのです。

神が私たちにしてくださったことを端的に表しているのが、聖書の次の箇所です。

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスの贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。
(ローマ人への手紙3章23、24節)

この箇所の最初と最後をくっつけ、間を省いて「すべての人は、義と認められる」として理解してしまうとき、「あなたはそのままでいい、何も変わる必要がない」という誤ったメッセージになってしまいます。


それは耳には心地よいかもしれませんが、私たちが知るべき大切なことが省かれてしまっています。その結果、私たちに「悔い改め」という変化が必要なことを知ることができない、ということが起こります。


この箇所を丁寧にみてみましょう。


すべての人は罪を犯したので


神の前には、誰も完全に正しい人はいません。すべての人は、神の前には罪ある存在です。あなたは、自分が神の前に罪人であることを認めなければなりません。


神からの栄誉を受けることができず


そんな罪ある人間は、本来神に受け入れられ、天の御国に入ることはできません。神は聖であり義であるお方だからです。


ただ、神の恵みにより


しかし神は、私たちへの愛のゆえに、私たちの罪を赦すための方法を備えてくださったのです。これは、完全に神からの恵み、恩恵なのです。


キリスト・イエスの贖いのゆえに


その方法とは、御子イエス・キリストを、その完全さのゆえに、すべての人の贖い(身代わり)として十字架につけたことです。イエス・キリストが私たちの罪の代償を負ってくださったので、私たちが罪に定められることはないのです。


値なしに


これは私たち人間側の善行によるものではありません。私たちは本来、神の前にまったく価値のないものだったのです。そこに人間の人種、能力、性格などによる差はありません。


義と認められる


そんな私たちを、神はキリストのゆえに、価値ある者として認めてくださるのです。これが神の私たちへの愛です。


「あなたは受け入れられています」と語るとき、それはどういう意味で、なぜなのか、それも併せて語られる必要があるのです。それは自分の醜さに、触れて欲しくない過ちに、正面から向き合うことを迫るのかもしれません。しかしそれが必要なのです。なぜなら、イエスがそれを全部負われたからです。


先の人が感じたのは、その迫りが疎かにされ、耳触りのよいメッセージしか語られないという危惧でした。それでは世の中のものと変わりません。神である必要がありません。


私たちが神に受け入れられ、救われるためには、自分が神の前に罪人であることを認めて「悔い改め」ることが必要です。私たちはイエス・キリストの十字架が私たちの罪の代価であったことを、知らなければならないのです。もし十字架と悔い改めを語らないメッセージなら、それは神の福音ではなく、単なる人の言葉なのです。そこにはいっときの慰めはあっても、人と神との間の和解はないのです。


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photo by Youichi UeDA

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死ぬために生まれた人

みなさんは子供の頃、将来何になりたいと思っていましたか。私は幼稚園の頃、正義の味方のおまわりさんになりたかったんです。その後、プロ野球選手、学校の先生、音響効果マンなど、年代を追って変わって行きました。そして実際には技術系サラリーマンになりました。

幼い頃に抱く将来の夢はだいたい、理想的で、漠然としています。しかし、どんな突拍子もない夢でも、子供には夢を語る自由があります。それはすなわち、幼い子供ほどたくさんの選択肢を持っているということでもあります。

ところが、この世にはたった一人、生まれたときから、いいえ、生まれる前から、何になるかがはっきりと定まっていた人がいます。

その人はイエス・キリストです。

イエスは、人々をその罪から救う救い主として生まれたのです。

救い主がどこで、どのようにして生まれ、どこで育ち、何と呼ばれ、何をし、どのように死ぬか、それは何のためか、死んだ後どうなるか。これは、紀元前何世紀も前に、定められていたことでした。具体的には、旧約聖書の中に書かれ、伝えられていたのです。

そしてイエス・キリストが、ベツレヘムの馬小屋で生まれ、ナザレで育ち、偉大な預言者と呼ばれ、神の国を宣べ伝え、33年の生涯を送り、十字架につけられて死に、3日後に復活したのでした。

幼いイエスが、将来の夢を語ることがあったでしょうか。イエスは、自分が何者であるかを、少年のときからはっきりと自覚していました。そして、自分が捕らえられ、十字架につけられることがわかっていて、自らその道を歩んだのです。

修行や研鑽を積んで開眼し、独自の教えを伝え始めたという、世の宗教の開祖とはまったく違うのです。

イエスはあらかじめ死に定められたお方でした。正に、初めから十字架で死ぬために生まれてきた、それがイエスの生涯であったのです。

イエスの弟子たちは、イエスが復活したあと、イエスの辿った道が聖書の約束通りだったことに気づき、命をかけてそれを証しする者となりました。

イエスの十字架は、神の前に罪人である私たち自身が負うべき裁きを、イエスが代わりに負うという、凡そ人の考えつかないような救いの方法でした。

クリスマスがなぜ世界中で暖かな、愛の感じられる行事になっているのでしょうか。それは、神が御子の命を私たちのために犠牲にしてくださったという、神の愛が原点にあるからです。

クリスマスの時期、どうかこのイエスの生涯に、イエスの十字架に思いを馳せてください。イエスは、あなたのために生まれたのです。クリスマスは、本当に、あなたのためのものなのです。


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photo by Youichi UeDA

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28分で読む「使徒の働き」(【1分de聖書】 まとめ)

姉妹サイト【1分de聖書】に掲載している聖書要約をまとめたものです。
1分de聖書】 では、日替わりで1日1章、1分で読める聖書要約をフォトとともに掲載しています。

1分でわかる「使徒の働き」

「使徒の働き」の著者は「ルカによる福音書」を記したルカです。福音書と同じくテオピロを宛先とし、その続編として書かれました。イエスの昇天からパウロが投獄されるまでの出来事が、歴史的正確性を保ちながら書き記されています。これはすなわち、初期キリスト教会が歴史の中で伸長していく歩みです。前半はペテロ、後半はパウロの伝道を中心に、エルサレムで発生した教会がユダヤ全土、そしてローマ帝国内に広がっていく様子がダイナミックに描かれます。そして、この広まりが聖霊の働きによるものであった、というのが本書の主張です。

Photo
photo by Youichi UeDA

1章「イエスの昇天」

聖霊があなたがたに臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。ー使徒の働き1章8節

ルカはテオピロに宛てて、福音書の続編となる本書を記します。イエスはよみがえってから40日間、弟子たちに現れます。そして「あなたがたは間もなく聖霊のバプテスマを受け、力を受けて、地の果てにまでわたしの証人となる」と述べ、それから天に上げられ、雲に包まれて見えなくなりました。弟子たちが天を見上げていると、御使いが彼らのそばに立って、「イエスは今と同じ有様でまたおいでになる」と告げました。エルサレムに戻った弟子たちは、ペテロの提案でイエスを裏切ったユダの代わりにイエスの復活の証人となる使徒を選びます。くじがマッテヤに当たったので、彼は使徒に加えられました。

2章「教会の始まり」

神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。ー使徒の働き2章32節

五旬節の日に、みなが集まっていると、突然炎のようなものがイエスの弟子たちの上にとどまりました。そして彼らが他国の言葉で話し出したので、みなは驚き怪しみ、彼らは酒に酔っていると言い出す人もいました。そこでペテロが代表して発言します。「皆さん、これは、預言者ヨエルが言ったことの成就なのです。神は、ナザレ人イエスによって力あるわざとしるしを行われましたが、あなたがたは、神が定めたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし、神はこの方を死からよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。そのイエスが、今この聖霊をお注ぎになったのです。この方を十字架につけたことを、あなたがたははっきりと知らなければなりません。」ペテロの言葉を受け入れた人々は、バプテスマを受けて弟子に加わり、毎日心を一つにして、祈り、食事を共にし、神を賛美しました。

3章「歩けない人をいやす」

そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。ー使徒の働き3章19節

ペテロとヨハネが祈りのために神殿へ行くと、足の不自由な人が二人に施しを求めました。ペテロは、「金銀は私にはない。しかしナザレのイエスの名によって、歩きなさい。」と言うと、彼はたちまち歩けるようになって、神を賛美しながら二人について行ったので、人々は驚きます。ペテロは人々に言います。「なぜ驚くのですか。イエスの名を信じる信仰がこのことをしたのです。あなたがたは、いのちの君であるイエスを引き渡し、殺しました。しかし神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。あなたがたは無知のゆえにそうしたのですが、神は預言者を通してこのことを語っていたのです。ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。」

4章「ペテロとヨハネが捕えられる」

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。ー使徒の働き4章12節

ペテロとヨハネが人々にイエスの復活を宣べ伝えていたので、困り果てた祭司たちや守衛長たちは二人を捕らえて留置します。翌日、エルサレムに集まったユダヤ人の指導者たちの前で、二人の尋問が行われますが、ペテロは聖霊に満たされて言います。「私たちが病人をいやしたのは、あなたがたが十字架につけ、神が死からよみがえらせたイエス・キリストの名によるのです。この名のほかに、人が救われるべき名は与えられていないのです。」いやされた人が二人と共に立っており、民衆も神をあがめているのを見て、指導者たちは二人を釈放せざるを得ませんでした。二人からこの報告を聞いた仲間たちは、神をほめたたえて祈りをささげると、一同は聖霊に満たされました。

5章「イエスの名によって」

使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。ー使徒の働き5章41節

使徒たちに癒してもらおうと、大勢の人々が病人や苦しんでいる人を連れて来たので、大祭司とサドカイ派の人々はこれを妬み、再び使徒たちを捕らえて留置します。大祭司たちは彼らを議会に立たせ、「イエスの名で教えてはならないと言ったではないか」と糾問します。そこでペテロが「人ではなく神に従うべきです。あなたがたが殺したイエスはよみがえったのです。私たちはそのことの証人です」と言ったので、彼らは怒りにかられて使徒たちを殺そうとします。しかし議員の一人ガマリエルが議会を制し、「使徒たちを放っておいて、神が彼らをどうするか見ていよう」と説得したので、むちを打って釈放します。使徒たちは、イエスの御名のためにむちの辱めを受けたことをむしろ喜びながら立ち去り、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けました。

6章「執事を選ぶ」

こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。ー使徒の働き6章7節

弟子が増えるにつれて、食事の分配などのことで苦情が出てきて、使徒たちが対応に追われるようになります。そこで弟子たちの世話をするために、御霊と知恵とに満ちた評判の良い人たち7人を選んで執事とし、使徒たちが神のみことばの奉仕に専念できるようにしました。こうして神のことばはますます広まり、弟子の数もふえて行きました。さて、ステパノという弟子に人々が議論を挑みますが、彼が知恵と御霊によって語ったので、誰も対抗できませんでした。そこで彼らは、「ステパノがモーセと神を汚す言葉を言うのを聞いた」と偽証させ、議会に引いて行きました。

7章「ステパノ」

主よ、この罪を彼らに負わせないでください。ー使徒の働き7章60節

議会に引き出されたステパノは、大祭司らの前で、父祖アブラハムの時代から始めて、イスラエルの民の歩みを振り返ります。そして、彼らの先祖たちが神に逆らい続け、預言者を迫害してきたこと、そして今は彼ら自身が神から遣わされたイエス・キリストを殺してしまったと訴えます。これを聞いた人々は、怒りでいっぱいになりました。ステパノが「見なさい、天が開けて、イエスが神の右にたっておられるのが見えます」というのを聞くと、ついに人々は彼を町の外に追い出し、石で撃ち殺します。ステパノは、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫んで息絶えます。

8章「ピリポと宦官」

ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。ー使徒の働き8章35節

エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々も神のことばを受け入れたと聞いてペテロとヨハネを遣わし、彼らが聖霊を受けるようにし、また多くの村で福音を伝えました。使徒ピリポが、主の使いに示されてガザへ下る道に出ていると、エチオピアの宦官が馬車で通りかかります。宦官がイザヤ書のキリストの受難を書いた部分を読んでいる声が聞こえたので、ピリポが「あなたは読んでいることがわかりますか」と尋ねると、彼は「導く人がいなければ、どうしてわかりましょう」と答えます。そこでピリポは、その聖句から始めて、イエスのことを彼に話します。宦官は話を聞いてイエスを受け入れたので、水のあるところに来た時に、ピリポは彼にバプテスマを授けました。

9章「サウロの改心」

主よ。あなたはどなたですか。ー使徒の働き9章5節

サウロはイエスの弟子たちを捕らえるためにダマスコへ向かっていました。ところが、突然天からの光が彼を照らし、「サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声が聞こえました。彼が「主よ。あなたはどなたですか」と問うと、「わたしはあなたが迫害しているイエスである。町に入ると、あなたのすることが告げられる。」という答えが返ってきました。光のために目が見えなくなったサウロが町へ入ると、イエスの弟子アナニヤがサウロを訪ね、目を開けてやります。アナニヤは、「サウロがイエスのために働くようになる」との幻を見てやってきたのでした。サウロはバプテスマを受け、イエスは神の子であると宣べ伝え始めたので、イエスの弟子たちも、人々も驚きました。ユダヤ人たちはサウロを殺そうと狙いますが、イエスの弟子たちは彼を逃がしました。

10章「コルネリオ」

どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。ー使徒の働き10章35節

ローマの百人隊長でコルネリオという人が、ペテロを招くよう、幻で御使いに言われます。ペテロもまた幻で、きよくないとされている食物が目の前に現れ、食べなさいと言われます。ペテロは固辞しますが、「神がきよめたものをきよくないと言ってはならない」と示されます。そこへコルネリオの使いがやって来てペテロを招いたので、ペテロは出かけて行きます。そこでペテロは、神はイエスの福音をユダヤ人だけでなく異邦人にも伝えようとしておられると悟り、集まっていた人たちに「イエスを信じれば罪の赦しが受けられる」と語ります。すると、そこにいる人たちに聖霊が下ったので、ペテロは彼らにバプテスマを授けました。

11章「キリスト者」

弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。ー使徒の働き11章26節

使徒たちは、ペテロが異邦人のところへ行ったことを問いただしますが、ペテロが事の次第を説明すると、「では神は、異邦人をも救いをお与えになったのだ」と神をほめたたえました。また、ステパノの殉教後に各地に散らされた人々の中には、ギリシャ人にイエスを宣べ伝える者もいました。こうして大ぜいの人がイエスを信じたので、エルサレム教会はバルナバを遣わし、彼らを励ましました。バルナバはサウロをアンテオケに連れて来て共に1年間伝道し、大ぜいの人を教えました。このアンテオケで、イエスの弟子たちは初めて「キリスト者(クリスチャン)」と呼ばれるようになりました。

12章「ペテロが牢から出る」

彼らが門をあけると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。ー使徒の働き12章16節

ヘロデ王はイエスの弟子を迫害し、祭りのときに殺すためにペテロを捕らえ、牢に入れます。番兵が牢の入り口を監視していましたが、突然御使いが現れ、寝ていたペテロを起こして、衞所を通り抜け、外へ連れ出します。ペテロが心配して祈っていた人々の所へ戻ったとき、人々は非常に驚きました翌朝、ペテロがいないので兵士たちは大騒ぎになり、ヘロデ王は番兵を処刑するよう命じます。その後ヘロデは王服を着けて王座に着き、民衆に向かって演説をしますが、民衆が「神の声だ」と叫びながら称えたので、主の使いが彼を打ち、彼は虫に噛まれて死んでしまいました。

13章「パウロの伝道」

あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。ー使徒の働き13章38節

サウロとバルナバは、聖霊の導きによって異邦人伝道の働きに遣わされます。(この章から、サウロはパウロと呼ばれるようになります)アンテオケの町の会堂で、パウロは人々に言いました。「イスラエルの民をエジプトから導き出した神は、ダビデの子孫としてイエスを送ってくださった。ところが指導者たちはこの方を罪に定め、十字架につけて預言を成就させてしまった。しかし神はこの方をよみがえらせた。私たちは、神が父祖たちになされた約束について良い知らせを宣べ伝えている。それは、この方によって罪の赦しが得られるという事だ。モーセの律法では解放されなかったすべての点について、この方を信じるものは解放されているのだ。」次の安息日に、ユダヤ人たちがねたんで彼らを罵ったので、パウロたちは「あなたがたが永遠のいのちを拒んだので、私たちは異邦人のほうへ向かう」と言って、その地をあとにしました。

14章「パウロが石打ちにされる」

私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。ー使徒の働き14章22節

ルステラという町で、パウロは足が不自由で歩いたことのない人をいやして立たせます。すると群衆はパウロたちを神々として祭り上げ、いけにえを捧げようとしたので、パウロは叫んで言います。「なぜこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。天地をお造りになった神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者です。」ところがパウロを狙っていたユダヤ人たちが来て彼を石打ちにし、死んだものと思って町の外に引きずり出してしまいます。しかしパウロは起き上がり、アンテオケに引き返して弟子たちを励まし、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない」と言いました。

15章「異邦人の扱い」

私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。ー使徒の働き15章11節

ユダヤからやってきた人々が、イエスを信じた異邦人たちについて「あなたがたも割礼を受けなければ救われない」と教えていました。このことについて使徒たちとの間に対立が生じたので、彼らは互いに代表を出してエルサレムで話し合うことにしました。会議では激しい論争がありましたが、ペテロが「神は私たちと何の差別もつけず、異邦人にも聖霊を与えてきよめてくださった。それなのになぜあなたがたは、私たちも負いきれなかったくびきを彼らに追わせようとするのか。私たちと同様、あの人たちも主イエスの恵みによって救われているのだ。」述べると、一同は沈黙してしまいます。その後、異邦人で改心した者たちについては、割礼は受ける必要がなく、いくつか避けるべきことを示すと決定します。そしてパウロとバルナバをその使者としてアンテオケに派遣しました。

16章「ピリピでの出来事」

主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。ー使徒の働き16章31節

マケドニア地方のピリピの町に入ったパウロとシラスは、占いの霊につかれた女につきまとわれたので、困り果てて彼女から霊を追い出します。すると、その占いによって儲けを得ていた主人たちが、パウロとシラスを役人に訴えました。役人は事情も聞かずに二人をむち打ち、牢に入れてしまいます。しかしその夜、大地震が起きて獄舎の扉が開いてしまったので、看守が自殺しようとしますが、パウロはそれを止めます。看守は二人を家に迎え、家族全員がイエスを信じてバプテスマを受けました。翌日、パウロがローマ人であることを知った長官は彼らに詫び、町から去ってくれるよう頼みました。

17章「町々での伝道」

もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。ー使徒の働き17章27節

パウロたちがテサロニケで伝道していると、ねたみにかられたユダヤ人たちから襲われそうになりますが、すんでのところで逃れます。彼らはベレヤに着いて伝道しますが、ここの人々は熱心に話を聞き、聖書を調べたので、多くの者が信仰に入りました。その後パウロはアテネに渡り、町が偶像でいっぱいなのを見て言います。「あなた方が拝んでいる『知られない神』というのは、天地万物を造られた神ですから、人の手で作った宮にはお住みになりません。しかし神を探り求めるなら、見出すこともあるのです。神は義をもって世界をさばきますが、一人の人をよみがえらせることで救いをもたらしたのです。」アテネの人々は好奇心から、パウロの話をもの珍しげに聞いていましたが、中には信仰に入った人もいました。

18章「弟子たちを励ます」

恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。ー使徒の働き18章9節

パウロはコリントの町でアクラとプリスキラという夫婦の家に滞在します。そしてユダヤ人に、イエスがキリストであることをはっきりと宣言しますが、彼らが反抗して暴言を吐いたので、その町を出ようとします。しかし神が幻で「恐れず語り続けなさい」と言ったので、そこに留まって伝道を続けました。ユダヤ人たちはアカヤ地方の総督にパウロを訴え出ますが、総督はユダヤ人の宗教の問題だとして受け付けませんでした。パウロはなおそこに滞在した後、エペソを経てエルサレム、アンテオケと回って、弟子たちを力づけました。

19章「アテネでの騒動」

集会は混乱状態に陥り、大多数の者は、なぜ集まったのかさえ知らなかったので、ある者はこのことを叫び、ほかの者は別のことを叫んでいた。ー使徒の働き19章32節

パウロは小アジア地域で、癒やしの奇跡を行いながら伝道したので、多くの人が主のことばを聞き、信仰を持ちました。こうして主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなっていきます。ところが、ギリシャのアテネでアルテミス神殿の銀細工の商売をしていた人々が、パウロの伝えていることに脅威を感じて煽動したので、町中が大騒ぎになります。一団が劇場になだれ込んだので、パウロが中に入ろうとしますが、弟子たちに止められます。集会は混乱し、人々は何のために集まっているかもわからない有様で「偉大なのはアルテミスだ」と叫び続けました。そこで町の書記役が出て、「文句のある者は裁判で訴えればよい。今回のことは騒擾罪に問われる恐れがある」と群衆を解散させました。

20章「走るべき行程」

私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。ー使徒の働き20章24節

パウロは小アジアを巡ってクリスチャンたちを励ました後、エルサレムへ向かうために旅路を急いでいました。その途中のミレトで、パウロは教会の長老たちを呼び集め、自分のこれからのことについて彼らに語りました。「私はこれからエルサレムへ行きますが、そこでどんなことが起こるのかわかりません。ただ、どの町でも縄目と苦しみが私を待っていることを、聖霊がはっきりと示しています。しかし、私は自分の走るべき行程を走り尽くし、恵みの福音をあかしする任務を果たせるなら、いのちが惜しくはありません。これからあなたがたの中に凶暴な狼が来て荒らし回るでしょう。しかしいま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成してくれます。」パウロがこう言ったので、一同は心を痛め、泣きながら別れを惜しみました。

21章「パウロの覚悟」

私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。ー使徒の働き21章13節

エルサレムへの帰路、カイザリアで一人の預言者がパウロの難儀を預言したので、同行していた者たちはエルサレム行きを止めようとしますが、パウロは「私は主イエスの御名のためなら死をも覚悟している」と言いました。それで一行は「主のみこころのままに」と言うしかありませんでした。エルサレムに着くと、果たして小アジアから来たユダヤ人たちがパウロを見つけ、「この者は律法に逆らうことを教えている」と言ったので、町中が大騒ぎになり、パウロを神殿の外に引きずり出します。エルサレムが混乱状態に陥っていることを知ったローマの千人隊長は、軍隊を出動させパウロを保護します。パウロは千人隊長に、皆に話をさせてくれるよう頼みます。

22章「パウロの弁明」

主は私に、「行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす」と言われました。ー使徒の働き22章21節

パウロは人々に向かって、自分の出自と、イエスを宣べ伝えるようになった経緯、そして主イエスから異邦人に遣わされたことを話します。すると人々は「こんな男は頃してしまえ」とわめき立てたので、千人隊長はパウロを兵営の中に引き入れ、ことの発端を知るためにパウロをむち打って調べようとしました。そこでパウロが「ローマ市民権を持つ者を裁判もせずにむち打ってよいのですか」と言ったので、千人隊長は驚いて彼の鎖をほどきます。その翌日、千人隊長はパウロがなぜユダヤ人に告訴されたのかを確かめるために、ユダヤ人議会を召集し、パウロをその中に立たせました。

23章「主がパウロを勇気づける」

勇気を出しなさい。ー使徒の働き23章11節

パウロは議会で、「私は死者の復活のことでさばきを受けている」と言うと、復活や霊を認めるパリサイ派と、認めないサドカイ派の間で対立が起きます。しかし論争があまりに激しかったので、千人隊長はパウロの身に危険が及ぶと考え、彼を兵営に連れ戻します。その夜、主イエスがパウロに「あなたはローマでもわたしをあかししなければならない」と勇気づけました。一方、ユダヤ人たちは計略を巡らし、待ち伏せしてパウロを殺そうとします。しかしパウロの親類がこのことを知って千人隊長に告げたので、千人隊長は秘密裡にパウロを総督ペリクスの元へ護送します。ペリクスはパウロを収容し、ユダヤ人からの訴えを待つことにしました。

24章「総督の裁判を受ける」

私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。ー使徒の働き24章14節

大祭司アナニヤが総督ペリクスのところに来て、パウロを訴えます。「この男はまるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを巻き起こしています。」これにたいして、パウロが弁明して言います。「エルサレムで私が群衆を騒がせたという証拠を彼らは挙げることができないはずです。私は律法も預言者も信じています。私は議会でただ一言、死者の復活のことで裁かれていると叫んだに過ぎません。」ペリクスはこの道について相当詳しい知識を持っていたので、早急な判断をせず、千人隊長が来るまで裁判を延期します。そしてパウロを軟禁し、何度も彼を呼び出して、イエス・キリストを信じる信仰について話を聞きました。

25章「皇帝に上訴する」

だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。ー使徒の働き25章11節

パウロは、ペリクスの後任として総督となったフェストの元で裁判を受けます。訴えたユダヤの祭司長たちは、パウロをエルサレムに呼び寄せて殺そうと企みますが、パウロは無実を訴え、皇帝への上訴を申し出たので、フェストはそれを認めます。その後、フェストの元を訪れたアグリッパ王とベルニケは、フェストからパウロのことを聞いて興味を持ち、パウロの話を聞いてみたいと願いました。そこで翌日、パウロは二人の前に連れて出されました。

26章「アグリッパ王らの前で」

神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととされるのでしょうか。ー使徒の働き26章8節

パウロはアグリッパ王たちの前で弁明を始めます。「あなたはユダヤ人の慣習に通じているので、忍耐をもってお聞きください。神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととされるのでしょうか。私はイエスを信じる者を迫害していましたが、ダマスコへの途上でそのイエスに出会ったのです。そしてイエスのための奉仕者、証人に任命され、異邦人にも遣わされました。こうして私は神の助けを受け、堅く立って誰に対してもあかししているのです。」これを聞いていた総督フェストは「お前は気が狂っている」と言いますが、その後彼らは、パウロが死や投獄に当たることはしていないと判断しました。しかしパウロが皇帝に上訴していたので、ローマへ護送する準備を始めました。

27章「護送船が難破する」

すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。ー使徒の働き27章25節

パウロは百人隊長によって護送され、イタリヤに行くアレキサンドリアの船に乗り込みます。そこでパウロはこの季節の航海は危険だと主張しましたが、百人隊長は航海士や船長の意見を入れ、出港することにします。しかし間もなく激しい暴風雨に巻き込まれ、船は何日も流されてしまいます。そんなある夜、御使いがパウロに「恐るな。あなたは必ず皇帝の前に立つ」と告げたので、彼は同船の人々を励まして「すべて私に告げられたとおりになると私は信じます」と言い、皆に食事を取らせてから船を軽くします。翌朝、船は陸地に近づいて座礁したので、兵士たちは囚人たちが逃げないように殺そうとしますが、百人隊長はそれを止め、全員が無事に陸に上がりました。

28章「ローマで」

神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。ー使徒の働き28章28節

パウロたちが漂着したのは、イタリヤの南にあるマルタ島でした。その島で冬を過ごした後、一行は再びローマへと向かいます。ローマに到着すると、パウロは軟禁状態におかれますが、ユダヤ人の主だった人々を呼び集めます。ユダヤ人たちは、パウロの語ることを直接聞くのがよいと考えて、日を改めてさらに大勢が集まりました。パウロは朝から晩まで語り続け、神の国のことをあかしします。しかし信じない人々もいたので、パウロは「預言者イザヤが父祖たちに語ったとおり、あなたがたは聞いても決して悟らない。この救いは異邦人に送られました。」と言いました。こうしてパウロは丸二年の間、たずねて来る人々に大胆に主イエス・キリストを宣べ伝えました。

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書籍の聖書

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ただし

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日英を両方同時に読める便利な聖書です。

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21分で読む「ヨハネによる福音書」(【1分de聖書】 まとめ)

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1章「世にきた光」

すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。ーヨハネによる福音書1章9節

神とともにあり、すべてのものを造られ、いのちである「ことば」が、人となって世に来られました。バプテスマのヨハネが、光について証言するために現れます。すべての人を照らす真実の光である方が世に来ようとしていたからです。ヨハネはこの方について「この方こそ神の子、世の罪を取り除く神の小羊、聖霊によってバプテスマを授ける方」と証言し、恵みと真理がイエス・キリストによって実現したと語りました。そして、ペテロとアンデレの兄弟が、続いてピリポがイエスに付き従いました。彼らはイエスが、預言者を通して語られたメシア(救い主)であると信じたのでした。

2章「最初の奇跡」

この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。ーヨハネによる福音書2章19節

カナで婚礼があり、イエスや母マリヤ、そして弟子たちも招かれました。やがてぶどう酒がなくなったので、マリヤがイエスに告げました。するとイエスは、「水がめにいっぱい水を満たしなさい」と言ったので、その通りにすると、それは質の良いぶどう酒になっていました。イエスはこれを最初の奇跡として行い、弟子たちはこれを見てイエスを信じました。その後、イエスはエルサレムの神殿を商売の巣にしている人々を追い出しますが、抵抗する人々に「ではこの神殿をこわしてみなさい。わたし三日でそれを建てよう」と答えました。のちにイエスが死んで三日目によみがえったとき、弟子たちはこの言葉を思い出し、イエスが自分の体のことを言われたのだと気づいたのでした。

3章「天から来た者」

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ーヨハネによる福音書3章16節

ある夜、ユダヤ人の指導者の一人ニコデモがイエスの元へやってきて、教えを乞います。イエスは彼に「人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」と言いますが、彼は理解することができません。イエスは、人は霊において新しく生まれなければならない、と説明します。なおも不思議がるニコデモに、イエスは自分が天から下った者であり、自分を信じる者が永遠のいのちを持つと語ります。それは、神が世を愛し、御子を信じるものが一人も滅びることなく、永遠のいのちを持つように、御子を世に与えたためです。だから、御子を信じるものはさばかれず、御子を信じない者はさばかれているのです。光が世に来ているとき、真理を行う者は、光の方に来るのです。

4章「生ける水」

わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。ーヨハネによる福音書4章14節

イエスがサマリヤ地方を通ったとき、井戸の傍で休んでいると、ひとりの女が水を汲みに来ます。イエスが彼女に水を求めると、彼女は困惑します。ユダヤ人は混血のサマリヤ人に声をかけるようなことはしなかったからです。しかしイエスは、「わたしが誰だか知っていたら、あなたの方からわたしに水を求めただろう。そして生ける水を与えられただろう」と言います。不思議がる彼女にイエスは、「わたしが与える水を飲む者は決して渇くことがない」と述べます。そして彼女の過去を言い当てた上、自分が来るべきメシアであることを告げたので、彼女は驚いて、町中にイエスのことを言い広めます。それを聞いた町の人々はイエスのところにやってきて、イエスの話を自分たちで聞き、イエスを救い主だと信じたのでした。

5章「聖書の証言」

あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。ーヨハネによる福音書5章39節

エルサレムでイエスは、38年間病気だった人をいやします。それを知ったユダヤ人たちは、その日が安息日だったことや、イエスが自分を神と等しくして、神を自分の父と呼んでいたことで、イエスを殺そうとしました。そこでイエスは彼らに答えて言いました。「子は、父がしていることを行う。それは父が子を愛し、自分のすることを子に示すからだ。父はさばきを子にゆだねられた。だから、わたしのことばを聞いて信じる者は、永遠のいのちを持ち、死からいのちに移っている。わたしのことを証言するのはわたしではなく、わたしの行っているわざだ。あなたがたが永遠のいのちがあると思って調べている聖書が、わたしについて証言している。それなのにあなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとしない。あなたがたを訴えるのはわたしではなく、モーセだ。わたしを信じないのは、モーセを信じないことだ。」

6章「永遠のいのちに至る食物」

なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。ーヨハネによる福音書6章27節

大勢の人々に食物を分け与えるイエスの奇跡を見た群衆は、イエスのあとを追います。イエスは彼らに、「なくなる食物のためではなく、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」と語ります。何をすべきかと尋ねる群衆に、イエスは「神が遣わした者を信じること」と述べます。それに対して彼らは「あなたを信じるために、しるしとして何をしてしてくれるのか」と言ったので、イエスは答えます。「天から与えられるパンがある。わたしがそのいのちのパンだ。わたしを信じるものは決して飢えず、決して渇かない。子を見て信じる者が永遠のいのちを持つこと、これが父のみこころだ。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲みなさい。」この言葉を聞いた人々はその真意を理解することなく「これはひどい言葉だ」とつまづき、多くの弟子たちがイエスを離れ去りました。

7章「神から出た者」

わたしはその方を知っています。わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わしたからです。ーヨハネによる福音書7章29節

ユダヤ人が自分を殺そうとしていたため、密かにエルサレムに行ったイエスでしたが、神殿で教え始めます。イエスは「わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わした」と言ったので、人々はイエスを捕らえようとしますが、イエスに手をかけた者はいませんでした。またイエスは「だれでも渇いている者がわたしのもとに来て飲むなら、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れるようになる」とも述べます。そしてある者はイエスを預言者だと言い、ある者はキリストだと言い、またある者は信じないといった具合で、ユダヤ人の間に分裂が起こりました。役人たちは見聞きしたことを祭司長やパリサイ人たちに報告しますが、イエスをガリラヤ出身だと思っていた彼らは、「ガリラヤから預言者は起こらない」と信じようとしませんでした。

8章「姦淫の女」

わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。ーヨハネによる福音書8章11節

律法学者とパリサイ人が、イエスを告発する口実を得るために、姦淫を犯した女を連れて来ます。彼らはイエスに「律法では、このような女は石打ちにせよと書いてあるが、あなたは何と言いますか。」と問います。イエスは、しばらく黙した後、身を起こして「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に意志を投げなさい」と言います。すると、一人去り、二人去り、石を投げる者は誰も残りませんでした。イエスが女に「あなたを罪に定める者はいなかったのか。」と問いかけたので、女は「誰もいません。」と答えます。イエスは、「わたしもあなたを罪に定めない。」と告げました。

9章「神のわざ」

この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。ーヨハネによる福音書9章3節

道の途中に生まれつきの盲人がいたのを見て、弟子たちがイエスに「この人の目が見えないのはこの人が罪を犯したからですか」と尋ねます。イエスは「そうではない。神のわざがこの人に現れるためだ。」と言い、その人の目を開けてやります。人々は驚いて、この人をパリサイ人たちのところへ連れて行きます。パリサイ人はこの人が盲人だったことを信じようとせず、本当に目が見えなかったのか、誰が目を開けたのかと、繰り返し彼に誰が尋ねました。そして目を開けたのがイエスだと知ると、「あの人は罪人だ」と言いますが、目を開けられた人は「神が罪人の言うことを聞くでしょうか」と反論したので、パリサイ人たちは彼を会堂から追放してしまいます。彼はイエスに再会したとき、イエスを信じると告白しました。

10章「良い牧者」

わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。ーヨハネによる福音書10章11節

イエスは語ります。「わたしは羊の門だ。私を通って入るなら、救われる。わたしは良い牧者だ。良い牧者は羊のためにいのちを捨てる。わたしの羊はわたしを知っている。」これを聞いたユダヤ人たちの中は、イエスに賛同する者と、イエスが悪霊につかれているという者に分裂します。宮きよめの祭りのとき、人々はイエスにキリスト(救い主)なのかどうかはっきり言うように迫りますが、イエスは言います。「あなたがたは言っても信じようとしない。わたしの羊はわたしの声を聞き分けてついて来る。わたしは彼らに永遠のいのちを与える。だれも父の御手から彼らを奪い去ることはできない。わたしと父とは一つだ。」これを聞いた人々は、神を冒涜しているとしてイエスを石打ちにしようとしますが、イエスはそこを逃れました。

11章「ラザロをよみがえらせる」

わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。ーヨハネによる福音書11章25節

マルタとマリヤの兄弟ラザロが病気で死の床に伏していたとき、彼女たちはイエスにこのことを知らせました。しかしイエスはすぐに彼らの所に行こうとはしませんでした。数日たって彼らの所に行くと、ラザロはすでに死んで葬られて4日がたっており、大勢の人が姉妹たちを慰めるために集まっていました。姉妹たちがイエスに「あなたがいてくれたら私たちの兄弟は死ななかったでしょう」と言ったのに対して、イエスは言います。「わたしはよみがえりだ。いのちだ。わたしを信じる者は死んでも生きる。」マルタはそれをこの世の終わりによみがえることだと思いましたが、イエスはラザロの墓の前に行くと、大声で「ラザロよ、出てきなさい。」と叫びました。するとラザロが出てきたので、多くの者がイエスを信じました。このことを聞いたパリサイ人たちはイエスを脅威に感じ、イエスを殺すための計画を立て始めました。

12章「死の予告」

一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一粒のままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。ーヨハネによる福音書12章24節

ラザロをよみがえらせた話が伝わったので、多くのユダヤ人がイエスを信じるようになりました。イエスがエルサレムに入ると、大勢の人々がイエスを歓迎します。
それを見たパリサイ人たちは危機感を抱き、イエスを殺す相談をします。そしてイエスは、自分がどのような死に方をするのかを語り始めます。「一粒の麦が地に落ちれば実を結ぶ。今、わたしの心は騒いでいる。『父よ、わたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにわたしはこの時に至った。わたしが地上から挙げられるなら、人々を自分のところに引き寄せるものとなる。あなたがたに光のある間に、光を信じなさい。私を信じる者は、わたしではなく、私を使わした方を信じるのだ。わたしは世を裁くためい来たのではなく、世を救うために来たのだから。」しかしパリサイ人の多くは、イエスの行う奇跡を見ても、イエスを信じようとしませんでした。

13章「最後の晩餐」

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。ーヨハネによる福音書13章34節

イエスは、過越の祭りの食事を弟子たちとともにします。その場でイエスは弟子たちの足を洗いますが、ペテロが遠慮しようとすると、イエスは「もしわたしが洗わなければ、わたしとあなたは何の関係もない」と言います。食事の席についたイエスは「わたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」と、彼らに模範を示したことを伝えます。しかしその後、弟子たちの中で自分を裏切る者がいると告げ、ユダを示しますが、弟子たちには何のことかわかりませんでした。ユダが出て行くと、イエスは間もなく自分は弟子たちがついて来れないところに行くと言い、再び「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と述べました。

14章「道、真理、いのち、そして助け主」

わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。ーヨハネによる福音書14章6節

「わたしはこれからあなたがたのために場所を備えに行く。これからわたしの行く道は、あなたがたも知っている」と言うイエスに、トマスは「あなたがどこへ行くのか、その道がわかりません」と言います。イエスは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのだ。わたしを通してでなければ、誰も父のもとへは行けない」と答えます。それでも不思議がる弟子たちにイエスは、自分が行ってしまった後には、助け主である聖霊が与えられると告げます。イエスは弟子たちに語ります。「聖霊はいつまでもあなたがたとともにいて、すべてのことを教える。わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくれる。その日には、わたしがあなたがたにおり、あなたがたがわたしにおることがわかるようになる。わたしがあなたがたに与える平安は世が与えるのとは違うから、心を騒がしてはならない。恐れてはならない。わたしがこれから起こることを前もって話したのは、あなたがたが後で信じるためだ。」

15章「実を結ぶ」

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。ーヨハネによる福音書15章5節

イエスは続けて弟子たちに語ります。「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝だ。枝は木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことはできない。だからあなたがたはわたしにとどまりなさい。わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、多くの実を結ぶ。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めだ。わたしがあなたがたを任命したのは、行って実を結び、その実が残るためだ。わたしがあなたがたを世から選び出したので、世はあなたがたを憎むだろう。世があなたがたを憎むなら、わたしを憎んだのと同じことだ。これは『世は理由なしにわたしを憎んだ』という預言の成就なのだ。父から来る助け主である聖霊がわたしについてあかしするので、あなたがたもあかしする。」

16章「弟子たちを励ます」

あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。ーヨハネによる福音書16章22節

イエスは続けて、悲しむ弟子たちを励まして言います。「人々はあなたがたを会堂から追放し、また殺そうとするだろう。それは彼らが父をもわたしをも知らないからだ。あなたがたの心は悲しみでいっぱいになっている。しかしわたしが去ると助け主である聖霊が来る。その方が来ると世に誤りを認めさせる。またあなたがたをすべての真理に導き入れる。しばらくするとあなたがたはわたしを見なくなる。しかしまたしばらくするとわたしを見る。」これを聞いた弟子たちは意味がわからずに互いにつぶやきあいます。イエスはそれを見て言いました。「そのときにはあなたがた心は喜びに満たされる。わたしがこれらのことを話したのは、あなたがたが平安を持つためだ。勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのだ。」

17章「私たちのため祈り」

その永遠のいのちとは、彼らが唯一の神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。ーヨハネによる福音書17章3節

イエスは続けて、目を天に向けて、祈ります。まず、自分が十字架で現す栄光について祈ります。「父よ。あなたの子であるわたしが、あなたの栄光を現す時が来ました。それは人々に永遠のいのちを与えるためです。永遠のいのちとは、神であるあなたと、あなたが遣わされたわたしとを知ることです。」次に、自分についてきた弟子たちのために祈ります。「あなたが世から取り出してわたしに下さった弟子たちは、あなたのものです。彼らをあなたの御名の中に保ってください。それは、わたしたちと同様に彼らが一つとなるためです。彼らを悪い者から守ってください。あなたのみことばの真理によって彼らを聖め別ってください。」そして、弟子たちを通してイエスを信じる人々のために祈ります。「また、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、あなたがわたしにおられ、この人々がみな一つとなるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためです。わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。」

18章「ピラトの尋問」

わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。ーヨハネによる福音書18章37章

イエスはゲツセマネの園で、ユダに手引きされた人々によって捕らえられ、アンナス、大祭司カヤパのもとを経て、ユダヤ総督ピラトの官邸へと連れて行かれます。ピラトはイエスに関わりたくなかったので、ユダヤ人たちに任せようとしますが、彼らは「自分たちには誰かを死刑にする権限がない」と言い張ったので、イエスを尋問します。「あなたは何をしたのか」と問うピラトに、イエスは「わたしの国はこの世のものではない」と答えます。ピラトが「あなたは王なのか」と問うと、イエスは答えます。「あなたの言うとおりだ。わたしは真理のあかしをするために来た。真理に属する者はわたしに聞き従う。」ピラトは、ローマに謀反しているわけでもないイエスを死刑にする理由が見いだせなかったので、過越の祭りの慣習に従ってイエスを釈放しようと考えますが、ユダヤ人たちは、イエスではなく強盗のバラバの釈放を求めました。

19章「聖書の成就」

イエスは酢いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。ーヨハネによる福音書19章30節

ピラトはなおもイエスを釈放しようとしますが、祭司長らに扇動された人々は、自分を神の子としたイエスを十字架につけるよう激しく要求しました。ピラトはとうとうイエスを彼らに渡します。彼らはイエスをゴルゴタと呼ばれる場所へ引いていき、十字架につけました。十字架において聖書の預言が成就しました。兵士たちがイエスの着物を分け合ったこと、「わたしは渇く」というイエスの言葉、イエスの骨は砕かれなかったことです。イエスは「完了した」と言い、息を引き取りました。
安息日が迫っていたので、イエスの遺体は急いで墓に葬られました。

20章「よみがえったイエス」

あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。ーヨハネによる福音書20章29節

イエスが葬られて3日目の朝、マグダラのマリヤが墓に行ってみると、イエスの遺体がありませんでした。泣いているマリヤに、よみがえったイエスが語りかけます。イエスは弟子たちのところにも姿を見せ、「平安があなたがたにあるように。聖霊を受けなさい」と言われました。弟子のトマスはこのときその場にいなかったので、イエスがよみがえったことを信じようとしませんでした。それから8日後、トマスが他の弟子たちといるときに、イエスは再び彼らのところに来ます。そしてトマスに、「あなたの手でこのわきに手を差し入れなさい。見ずに信じる者は幸いです。」と言いました。イエスは他にも弟子たちの前で多くのしるしを行いましたが、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを信じるため、また信じて、イエスの御名によっていのちを得るためです。

21章「わたしに従いなさい」

わたしに従いなさい。ーヨハネによる福音書21章19節

弟子たちが漁をしているとき、イエスが岸辺に姿を現しました。イエスがよみがえってから弟子たちに姿を現したのば3度目のことです。イエスは彼らに朝の食事を振る舞ったあと、ペテロに尋ねます。「あなたはわたしを愛しますか。」ペテロが「はい」答えるとイエスは「わたしの小羊を飼いなさい」と言いました。イエスが再びペテロに「わたしを愛しますか」と尋ねたので、ペテロは「はい」と答えます。イエスは三たびペテロに「わたしを愛しますか」と尋ねたので、ペテロは心を痛めて「主よ、私があなたを愛することを知っておられます」と言います。イエスは「わたしの羊を飼いなさい」と言い、また「わたしに従いなさい」と言いました。イエスが行ったことはほかにもたくさんありましたが、それらを書き記すなら世界中の書物でも足りない、と著者は述べて、この書を終えます。

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【ナルニア】7 「さいごの戦い」

ナルニアのもの言うサル、ヨコシマがある日、何かが池に浮かんでいるのを見つけます。

それがライオンの皮だとわかったとき、ヨコシマの頭に恐ろしい考えが浮かびます。

そしてその計略は、ナルニア中を大混乱の中に陥れることになります。

偉大なライオン、アスランに対する尊敬と服従の心を利用し、自分の欲望を満たそうとするヨコシマ。

いっぽう、何かがおかしいと事の調査を始めたナルニアの若き王チリアンは、そのアスランが偽物だと突き止めます。

人間界からはユースチスとジルが現れ、チリアンを助けますが、すでにカロールメンの軍隊が、ナルニアを乗っ取ろうと押し寄せていました。

そして、ナルニアの存亡をかけた戦いが始まります。

偽物が真の信仰を蝕んで行く恐ろしさ、そして黙示録にある最後の戦いと新しい天地をモチーフにした、圧倒的な最終巻。


関連トピック

  ナルニアの扉
  ナルニアの扉 2
  1.「魔術師のおい」
  2.「ライオンと魔女」
  3.「馬と少年」
  4.「カスピアン王子のつのぶえ」
  5.「朝びらき丸 東の海へ」
  6.「銀のいす」
  7.「さいごの戦い」

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【ナルニア】6 「銀のいす」

ユースチス・スクラブと友だちのジル・ポールがカスピアン王の末期のナルニアに行き、行方不明になっているリリアン王子を探しにいく物語。

途中で知り合った沼人の「泥足にがえもん」を伴い、3人はアスランに言われたしるべを手がかりに、巨人の都のあとを目指して旅を続けます。

途中で親切な女の人に道を教えてもらい、とうとう巨人たちの都へたどり着いた3人。しかしそこはアスランが言った「巨人の都のあと」ではありませんでした。

次々に襲いかかる危機。誰が味方か敵か、何が信用できるのかーこれまでのどの巻にも増して波瀾万丈の物語。

前巻「朝びらき丸 東の海へ」の意地悪ユースチスが、見違えるようになっているのも見もの。

また「目に見えないもの」をはじめ、聖書の寓意がふんだんに盛り込まれています。

関連トピック

  ナルニアの扉
  ナルニアの扉 2
  1.「魔術師のおい」
  2.「ライオンと魔女」
  3.「馬と少年」
  4.「カスピアン王子のつのぶえ」
  5.「朝びらき丸 東の海へ」
  6.「銀のいす」
  7.「さいごの戦い」

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【ナルニア】5「朝びらき丸 東の海へ」

エドマンドとルーシィ、それにいとこのユースチスがナルニアにやってくると、そこはなんと海の上。3人を船に助け上げてくれたのは、あのカスピアン王子でした。

王子は、行方不明になった7人の家来を探しに、「この世の果て」である東の海へ行く途中でした。

立ち寄った島で手がかりを得たのも束の間、今度は恐ろしい竜に出くわします。しかしそれは、欲にかられて竜の姿になってしまったユースチスでした。

巨大な竜となったユースチスと、ナルニアの誇り高きネズミの騎士リーピチープの間に芽生える友情。そしてたどり着いた「この世の果て」。

「自分を知る」ことを考えさせてくれる、意味深い巻。

関連トピック

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  ナルニアの扉 2
  1.「魔術師のおい」
  2.「ライオンと魔女」
  3.「馬と少年」
  4.「カスピアン王子のつのぶえ」
  5.「朝びらき丸 東の海へ」
  6.「銀のいす」
  7.「さいごの戦い」

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