無花果・・・ではなくてざくろ
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昨日から、検索エンジン経由で「大嶽電機」にくる人が突然異様に多いのはなぜ?200件超え・・・ 一体何かあったのだろう。誰か教えて!
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元祖、とつくのが本当に元祖かどうかは怪しいことも多いが、この元祖は本物らしい。
もうほとんど季節も終わりだが、稲城は梨の産地として有名。稲城市役所の近くにある清玉園、ここがその多摩川梨の発祥の地となっている。庭にちゃんと碑が建っている。(地図)
「稲城でいつ頃から梨栽培が始まったかを伝える古い記録はありません。しかし、その歴史が江戸時代までさかのぼることは確かなようです。言い伝えによると、元禄年間(1688年から1704年)に、長沼村の代官増岡平右衛門と川島佐治右衛門の二人が、公用で山城国(京都府東南部)に出かけ、その帰りに「淡雪」という品種の梨の苗を持ち帰り、村内に植えたのが始まりと言われます。その原木は明治22年まで東長沼の清玉園の前庭にありました。清玉園には、稲城の梨作りの始まりを伝える「多摩川梨発祥之地」の碑が、庭の片隅に立っており、江戸時代からの稲城の梨づくりの歴史を今に伝えています。」
稲城市ホームページから引用
今日はカラッといい天気で、自転車で散歩するにはもってこいだった。
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生物が複雑で機能的な現在の姿になるまでには、突然変異に加えて漸進的な自然淘汰を経てきたというのが主旨。サルがでたらめにタイピングしてもシェークスピアになる可能性はまずないが、シェークスピアに向かって最もよく似ている句を残していけば有限世代で可能になる、という。小さな変化でも、わずかでも有利なものが淘汰されていくと複雑になっていくという説を、かなり冗長にではあるが、懇切丁寧に解説している。この書で一貫して取り上げられている器官の例は「眼」だが、およそ眼などない生物からヒトの眼に至る過程は、この自然淘汰で説明できるという。
私は創造論を信じる者であり、本書の論じている内容が、わずかなコンピュータシミュレーションに基づく以外は、実験的・実証的には極めて不十分なあくまで「論」であると感じた。進化はその「可能性」を論じることしかできないし、アナロジーとしての説明では純粋に科学とは言えない点に注意する必要がある。最後の方に「等身大」と「カリカチュア」の2人のダーウィン主義者の「会話」が載っていて興味深いが、私には前半で出てきた「石像でも腕を振る可能性がある」というアナロジーが「カリカチュアなダーウィン主義」とどう違うのかわからなかった。
第6章では生命の起源について論じられているが、生命発生がほとんどありそうにないと思われるのは人間の時間尺度で考えるからであり、宇宙的時間で考えれば発生し得るという。これで何か説明できているのだろうか。
このように随所に突っ込みどころは見られるが、いずれにしても神による創造論に「対抗」する形で論旨が展開されていることは、進化が既成事実化されている日本人にとっては奇妙に思われるだろう。本書は創造論者を説得しようとしているのである。それほどに、創造論が西洋では一般的で、広く信じられている説だということを含んでおいたほうがよいだろう。
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東京国際フォーラムには仕事で何度か行ったことがあるが、太田道灌の像があるのは昨日初めて知った。
なんでも、旧都庁がここにあったときに建立されて、都庁が新宿に移転した後もこの像はここに居続けているそうだ。でも、いくら東京国際フォーラムとは言え、江戸を開いた人物像が建物の中にあるのは、もったいないなあ。しかも台座に彫られている説明書きが、照り照りしていてほとんど読めない。せめて名前だけでも載せておこう。
ところで、帰りに本屋さんで雑誌「自転車人」 を買ったら、なんと「銅像巡り」のサイクリングコースが紹介されていて、しっかりこれも入っていた。さすがはプロのカメラマン、アングルがいい。曰く「全体を写そうとせず、特徴を捉えること」だそうだ。あはっ(笑)
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